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【F1ドライバーの履歴書】GP3から飛び級でF1へ。ボッタスの近道を実現した代理人

2026年4月8日

 世界最高峰の4輪レースであるF1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり。そこで、F1に到達するまでに彼らがどれほど活躍し、いかにして周囲のライバルとの違いを見せつけてきたのかを改めて確認するべく、2026年F1に参戦する22名がF1ドライバーになる前、ステップアップカテゴリーで残してきた結果やエピソードを『F1ドライバーの履歴書』と題した不定期連載でお届けする。


 第5回目に登場するのは、2013年にF1デビューを飾った現在36歳のバルテリ・ボッタスだ。今回登場したボッタスはこれまでの4名とは異なり、F1直下のGP2/国際F3000(現在のFIA F2)参戦経験がない、今季のF1ドライバーの中では少数派のひとりだ。

  1989年8月28日、フィンランドの首都ヘルシンキから北東に100kmほど進んだパイヤト=ハメ県のナストラ(現在は県庁所在地ラハティに合併)で誕生したボッタスは、1995年に6歳でレーシングカートを始める。レーシングカートでのキャリアは2006年まで続き、2007年のフォーミュラ・ルノー2.0 NEC(北欧選手権/Northern European Cup)にて、17歳9カ月で四輪デビューを果たした。


 カート時代からフィンランドのナショナルチームに所属したボッタスがフォーミュラ・ルノー2.0 NECにて所属したのは、シリーズ唯一のフィンランド国籍チームであり、その後SMP F4(北欧)やスペインF4で選手権プロモーターを務めるコイラネン・ブラザーズ・モータースポーツ。ただ、フォーミュラ・ルノー2.0 NECは開催初年度となった2006年から、常時5〜7台を走らせるドイツのモトパーク・アカデミーが選手権を支配する状況だった。


 ボッタスは第3戦のレース1で初ポールポジションを獲得したほか、コンスタントにポイント獲得を重ねたが、モトパーク勢の上位2名には届かず。最終戦/第8戦ホッケンハイムを前に、モトパーク勢のタイトル獲得と選手権2位獲得が決定。最終戦は彼らが欠場するなか、ボッタスが連勝を飾り、通算2勝、選手権3位で四輪1年目のシーズンを終えた。


 なお、この年のフォーミュラ・ルノー2.0 NECには、ボッタス以外にF1まで到達したドライバーはいない。ただ、ボッタスに続く選手権4位となったのは、のちにハイテックの代表となり、一時はアルピーヌF1のチーム代表を務めることになるオリバー・オークス(モトパーク・アカデミー/当時レッドブル育成ドライバー)だった。

 また、ボッタスは同年の冬季に開催されたイギリス・フォーミュラ・ルノー2.0ウィンターカップにもエントリー。ドニントン・パークとクロフト・サーキットの全2大会4レースという、翌年のイギリス・フォーミュラ・ルノー2.0のメインシリーズへ向けた準備シリーズ的役割を担うウィンターカップにおいて、AKAコブラからエントリーしたボッタスは3勝、2位1回という好成績を残した。


 ただ、イギリス・フォーミュラ・ルノー2.0ウィンターカップは、統括団体であるモーター・スポーツ・アソシエイション(MSA/現在のモータースポーツUK)が発給するライセンス所有者のみが選手権ポイントを得られるという規則で、MSAのライセンスを持たなかったボッタスは選手権外に終わった。


 もし、ボッタスがMSAライセンスを取得していたら、四輪1年目でチャンピオンという肩書きを得ることができたはずだが、ボッタスにとってウインターシリーズでの栄冠はさほど重要じゃなかったようだ。それを証明するかのように、翌2008年はフォーミュラ・ルノー2.0 NEC、そして各地域のフォーミュラ・ルノーの名手が集うユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0のそれぞれで、映えあるシリーズタイトルを掴んだのだった。


 ボッタスが2008年に好成績を記録した要因はボッタス自身の実力はもちろん、さらに言えばモトパーク・アカデミーへの移籍が効いていた。まず、NECでは14レースに出走し12勝。ポールポジション13回、ファステストラップ12回。選手権2位のアントニオ・フェリックス・ダ・コスタ(モトパーク・アカデミー)に86点差をつける完勝でタイトルを決めた。


 NECよりも選手権レベルの高いユーロカップでは14レース中7回のポールポジションを獲得。しかし、優勝は5回にとどまった。その要因は、同年のフォーミュラ・ルノー2.0 WEC(西欧選手権/West European Cup)チャンピオンであり、すでにレッドブルの育成ドライバーとして活動していたダニエル・リカルド(SGフォーミュラ)が6勝を飾り、ボッタスの行手を阻んだからだった。


 さらにユーロカップには、トヨタの若手ドライバー育成プログラムだったTDP(トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム/現TGR-DC)契約下のアンドレア・カルダレッリ(SGフォーミュラ)、そしてスペインの新鋭ロベルト・メルヒ(エプシロン・ユースカディ)ら名手が多数エントリーしていた。


 その後、F1やGTレースで活躍する面々も決して楽な相手ではなく、カルダレッリは未勝利に終わるも14レース中10回の表彰台登壇という安定ぶりで選手権3位。メルヒは2勝を飾り選手権4位という成績を残していた。勝利数ではリカルドに敗北したボッタスだったが、3点差というギリギリのところで2008年のユーロカップタイトルをものにした。

 2009年よりボッタスはF3の激戦区だったユーロシリーズに参戦。加入した前年のチャンピオンチームであるフランスのARTグランプリは戦力もあり、ボッタスは20レース中6回の2位表彰台を得てシリーズ3位となる。しかし、1度も勝てなかった。


 というのも、ARTグランプリのチームメイトであり、カーナンバー1を付けるジュール・ビアンキがあまりにも強かった。フランスの期待を背負う若手のビアンキは10大会中6回のポールポジションを獲得し、20レース中9勝でチャンピオンに輝いた。そして2009年12月にスクーデリア・フェラーリのテストに参加し、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)最初の契約ドライバーとなるのだった。


 ただ、ボッタスはビアンキに負け続けたわけではない。6月にオランダ・ザントフォールトで開催されたマスターズF3にARTグランプリ勢も参戦。ボッタスを0.032秒差で凌いだビアンキがポールポジション獲得かと思われたが、ビアンキは他車の進路妨害により5グリッド降格となってしまう。


 代わりにポールシッターとなったボッタスはトップを守り優勝。6番グリッドスタートとなったビアンキは4位に終わった。ビアンキは翌年GP2にステップアップ。ボッタスと同じグリッドに立つのは、2013年のF1開幕戦オーストラリアGPまでお預けとなった。

 ボッタスは2010年もユーロF3に継続参戦した。ただ、前年と異なるのは、ウイリアムズF1チームのテストドライバーという肩書きを得たことだった。


 フランク・ウイリアムズは当時のプレスリリースにて「彼のジュニア・フォーミュラでの輝かしい戦績には非常に強い印象を受けた。チームのテストドライバーという役割を担うことで、更なるステップアップにつなげてほしいと思う。今年のF3ユーロシリーズでの健闘を祈っている」と、ボッタスを高く評価するコメントを残している。このテストドライバー起用の背景、それを実現した人物についての紹介は、もう少しお待ちいただきたい。

■GP2に挑む理由がなかった。ボッタスを売り込んだ代理人



(Text:autosport web)


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