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【F1コラム】2026年は日本人ドライバー不在。シート喪失から復帰果たした先人の事例と角田裕毅の立ち位置

2026年1月3日

 2025年はF1世界選手権(F1)が発足して75周年となる記念すべきシーズンだった。2026年はF1車両の技術規則が大幅に変更され、選手権タイトル争いがまったく予想できない興味深いシーズンとなりそうだ。


 しかし、その舞台に日本人ドライバーの姿が無いのは寂しい。2025年の第3戦日本GPよりレーシングブルズからレッドブルへ昇格した角田裕毅は2026年、レギュラードライバーの座を失い、レッドブルのテスト&リザーブドライバーとしてレースをコースの外から眺める立場となる。


 もっとも、F1で日本ドライバーが居なかった時期は珍しくない。そもそも1950年のF1発足から最初の四半世紀において、F1の決勝レースに日本人ドライバーの姿は無かった。第一期ホンダF1活動とされる1964〜1968年においても、日本人ドライバーは起用されなかった。

 しかし、次の四半世紀で状況は徐々に変わる。初めて日本人ドライバーがF1の決勝レースに出走したのは、富士スピードウェイで開催された1976年の『F1世界選手権イン・ジャパン』。いずれもスポット参戦ながら、長谷見昌弘、星野一義、高原敬武の3人が決勝レースに出走した。


 ただし、通年参戦つまりF1レギュラードライバーの登場は、しばらく待たなくてはならなかった。1983年に第二期ホンダF1活動は、コンストラクターへのエンジン供給というかたちで復活したが、まだそこに日本人ドライバーの姿は無かった。


 それでも、国内レースで大活躍だった中嶋悟がホンダとの良好な関係性から、1984年よりホンダエンジンの開発ドライバーとして起用された。そして1987年にホンダがウイリアムズに加えてロータスへもエンジン供給を開始したとき、中嶋が日本人初のF1レギュラードライバーの地位を得た。


 これと並行して、鈴鹿サーキットでのF1開催、フジテレビによる地上波でのF1放映などが始まり、日本はF1ブームで沸き立った。日本企業はF1への広告投資を増やし、複数の国産F1エンジンが登場し、複数の日本人F1チームオーナー誕生もあった。


 いずれも日本人ドライバーにとっては心強い追い風であったし、そうした背景から1980年代後半から1990年代まで、鈴木亜久里、片山右京、井上隆智穂、中野信治、高木虎之介といったF1レギュラードライバーが誕生した。同時に、スポット参戦でF1へ挑戦する日本人ドライバーも少なくなかった時代だ。

1987年F1日本GP 中嶋悟(ロータス・ホンダ)
1987年F1日本GP 中嶋悟(ロータス・ホンダ)

 一方で1990年代はホンダのF1撤退、アイルトン・セナの事故死という悲観的な話題もあった。先細りしていた日本のF1ブームが盛り返したのは2002年、佐藤琢磨のジョーダンとのF1レギュラードライバー契約だった。日本人がF1へ行くには、国内自動車メーカーの育成プログラムが王道という時代の訪れである。


 もっとも、2003年に向けてはホンダがジョーダンからエンジンを引き上げると決定したため、琢磨は僅か1シーズンでシートを喪失。2003年の彼は、ホンダがエンジンをワークス供給していたBARのリザーブ/テストドライバーを務めて雌伏の時期を過ごした。


 それでも琢磨は、2003年のスポット参戦を経て、2004〜2005年のBARホンダでレギュラードライバーを務めた。もちろん、ホンダの多大な支援に拠る。2006年以降、鈴木亜久里が立ち上げたスーパーアグリで琢磨が起用されたのも、十分と言えないまでもホンダの後押しがあったからだ。

2004年F1第9戦アメリカGP 3位初表彰台の佐藤琢磨(BARホンダ)をシャンパンファイトで祝福するミハエル・シューマッハー(フェラーリ)

 同じような例は、2007年のスポット参戦を経て、2008〜2009年にレギュラードライバーを務めた、トヨタ育成ドライバーの中嶋一貴にも当てはまる。トヨタがウイリアムズへ3シーズンにわたりエンジン供給していた関係から、これが実現したというのは自然な見方だろう。


 直近では、ホンダとレッドブルの育成ドライバーという背景から、2021〜2025年までのアルファタウリ(レーシングブルズ)と、シーズン中の昇格で2025年のレッドブルでシートを得た角田裕毅。いずれもホンダがエンジン/PU(パワーユニット)をチームへ供給していたという背景は見過ごせない。


 ただ唯一、ここ最近の四半世紀で異色なのは小林可夢偉だ。トヨタの育成ドライバーでF1への足がかりはトヨタから参戦した2009年シーズン最終2戦のスポット参戦。ただし、トヨタが同年限りでF1からの撤退を発表して、可夢偉の将来にも暗雲が漂った。


 そこに救いの手を差し伸べたのが、若手起用で定評のあったペーター・ザウバー率いるザウバーだった。可夢偉とスイスを本拠とするチームの蜜月は2010〜2012年までの3シーズンにわたった。可夢偉は2013年にF1レギュラーシートを確保できなかったものの、2014年は小規模チームながらケータハムと契約した。

2014年F1第6戦モナコGP 小林可夢偉(ケータハム)

 こうして歴史を振り返ると今後、日本人ドライバーにとっては国内自動車メーカーとの繋がりが、F1レギュラーシートを得られるかどうかの鍵となっているようだ。ホンダに関してはアストンマーティンへのPU供給、トヨタに関してはハースとのタイトルスポンサー契約である。


 冒頭で記したとおり、角田は2026年シーズンに限ってはF1レギュラーシートが用意されていない。それでも、状況次第ではあるものの少なくない可能性が残されている。先に挙げた2003年の琢磨や2013年の可夢偉がその良い例であろう。


 再び角田がF1レギュラードライバーへ返り咲く可能性がゼロとは言い切れない。なにしろ彼の年齢はまだ25歳。可夢偉がザウバーでシートで失ったときよりも若い。十分にF1レギュラードライバー復帰の目はありそうだ。

角田裕毅(レッドブル)と担当チームメンバーが記念撮影
2025年F1第24戦アブダビGP 角田裕毅(レッドブル)と担当チームメンバー

 実際に角田は現在、テスト&リザーブドライバーというレッドブル陣営で“5番目”の地位にある。万が一の事態においては彼が“4番目”へ昇格する。さらに、ホンダとの関係性を無視すれば、アルピーヌやハースは2027年シーズンに向けて、彼にとってもチームにとっても格好のターゲットだ。


 もちろん、2026年からチームへPUを供給し始めるホンダの支援を受けて、近い将来にアストンマーティンでF1レギュラードライバーの座をつかむというのが、誰もがいちばん分かりやすく自然なストーリーではあるだろう。


 F1車両の技術規則が大改革を迎える2025〜2026年、レッドブルの新旧マシンを知るドライバーとして、ホンダとレッドブル・パワートレインズ・フォードのPUを知るドライバーとして、2027年シーズンに向けた角田の2026年シーズンの立ち位置は、第三者が心配するほど悲観的なものではないのかもしれない。


(執筆:石井功次郎)



(Text:Kojiro Ishii)


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