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【F1ドライバーの履歴書】宿敵クビアトに敗北。窮地のサインツが選んだ“非王道ルート”

2026年4月9日

 世界最高峰の4輪レースであるF1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり。そこで、F1に到達するまでに彼らがどれほど活躍し、いかにして周囲のライバルとの違いを見せつけてきたのかを改めて確認するべく、2026年F1に参戦する22名がF1ドライバーになる前、ステップアップカテゴリーで残してきた結果やエピソードを『F1ドライバーの履歴書』と題した不定期連載でお届けする。


 第6回目に登場するのは、2015年にF1デビューを飾った現在31歳のカルロス・サインツ。彼もまたF1直下のGP2/FIA F2を経験していない、少数派のひとりだ。

 1994年9月1日にスペインの首都マドリードで誕生したサインツ。彼はWRC世界ラリー選手権で2度チャンピオンに輝き、WRC引退後にはダカールラリーで4度の総合優勝を飾ったスペインの英雄カルロス・サインツの息子だ。通常、親と同じ名前を持つ息子にはジュニア/Jr.をつけることが正しいが、「父と比較してほしくない」という本人の意向により、F1公式をはじめ彼を呼称する際はカルロス・サインツと表記している。とはいえ、彼のレースキャリアは父からのサポートがあってのものであることは言うまでもない。


 彼と四輪マシンの最初の出会いは2歳。サインツの名付けの親であり、父のラリー参戦時にはコ・ドライバー、そして代理人(マネージャー)を務めたファンホ・ラカジェが贈った電動機付きバギーだった。彼の顔より大きなタイヤ、彼の身長よりも高い全高を持つバギーで、2歳のサインツはドリフトを披露したという。ただ、レーシングカートキャリアの本格始動は12歳を迎える2006年。恵まれた家庭ではあったが、キャリアの始まりは遅かった。さらに父は息子に対し、レースでの結果だけではなく、学業の結果もレースと同じように求めた。


 2009年までレーシングカートと学業に専念し、2008年にはCIK-FIAアジアパシフィック選手権のKF3部門でチャンピオン輝いたほか、2009年CIK-FIAモナコカートカップのKF3部門で優勝を飾った。なお、カート時代にはスペインでレーシングスクールを運営していたエミリオ・デ・ビロタと、その娘でのちにマルシャF1のテストドライバーとなったマリア・デ・ビロタの指導を受けている。


 カルロス・サインツは16歳を迎える2010年より、レッドブルの若手育成プログラムであるレッドブル・ジュニア・チームに加入した。なお当時、父カルロス・サインツは、フォルクスワーゲンのファクトリードライバーとしてトゥアレグを操り、2010年1月のダカールラリーで初優勝を飾ったのだった。このダカールのプロジェクトはレッドブルが主要スポンサーとして支援していた。レッドブルカラーでダカールを制したばかりのレジェンド、その息子がレッドブル・ジュニア・チームに加入するのは自然な流れだった。

 四輪デビューイヤーとなった2010年の主戦場は、フォーミュラBMWのヨーロッパ選手権だった。また、パシフィック選手権には選手権対象外のゲストドライバーとして、4大会9レースに出走している。余談だが、前年の2009年をもってBMWがF1を撤退。これを機にBMWはジュニアフォーミュラへの支援を縮小し、パシフィック選手権は2010年をもって終了。ヨーロッパ選手権は『フォーミュラBMWタレントカップ』という若手の育成とトレーニングプログラムを兼ねたシュートアウトシリーズに変わったこともあり、サインツが参戦した2010年は一般的に知られている『フォーミュラBMW』の事実上最後のシーズンだった。


 レッドブルは、サインツ、そして同じく四輪デビューを果たすダニール・クビアトのために、前年のチャンピオンチームであるユーロインターナショナルの2台のシートを確保した。しかし、2010年のヨーロッパ選手権の主役は、ロビン・フラインス(ヨーゼフ・カウフマン・レーシング/後にフォーミュラE、WEC、IMSA等に参戦)とジャック・ハーベイ(フォーテック・モータースポーツ/後にインディカー等に参戦)だった。

 全8大会16レースが行われる中、サインツはシルバーストンのレース2でポール・トゥ・ウインから記念すべき四輪初優勝を飾った。ただ、サインツの勝利はこの1回のみ。フラインスが6勝、ハーベイが7勝。勝利数こそハーベイが勝るが、フラインスは12レース連続表彰台に登壇し、失点数の少なさでハーベイに勝り11点差でチャンピオンに輝いた。サインツは1勝を含む5回の表彰台で選手権4位となりルーキーカップ王者に。チームメイトのクビアトは表彰台登壇が2位1回に留まる苦戦で、選手権11位となった。


 また、ゲスト参戦(選手権対象外)となったパシフィック選手権で、サインツは最終戦マカオを含む3勝を飾り、チームメイトのクビアト(同じく選手権対象外)も2勝を飾っている。このパシフィック選手権には日本から桜井孝太郎がレギュラー参戦したほか、野尻智紀、中山雄一、平川亮がスポットでゲスト参戦していた。また、WTCC世界ツーリングカー選手権日本ラウンドの併催として第5戦は岡山国際サーキットで開催されたが、サインツはこの週末にヨーロッパF3オープン(現:ユーロ・フォーミュラ・オープン)にスポット参戦したため、ここでの来日は実現していない。

 前述のとおり、フォーミュラBMWの時代は2010年をもって終わった。17歳を迎える2011年、サインツはフォーミュラ・ルノー2.0 NEC(北欧選手権/Northern European Cup)と、各地域のフォーミュラ・ルノーの名手が集うユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0を主戦場とした。2選手権とも、フィンランドのコイラネン・モータースポーツからのエントリーであり、チームメイトにはレッドブル育成のクビアトがいた。


 NECは8大会20レース中、10勝、8回のポールポジション、12回ファステストラップを記録したサインツが支配するシーズンとなった。クビアトは7勝を飾るも、サインツに47点という大差で選手権2位となった。なお、選手権3位はベルギーのキールベルグス・トランスポート・レーシング(KTR)から参戦したストフェル・バンドーン(2017〜2018年F1にマクラーレンからレギュラー参戦)だった。

 ただ、ユーロカップはサインツにとって悔しい結果に終わる。前年のフォーミュラBMWヨーロッパ選手権の王者となったフラインス(ヨーゼフ・カウフマン・レーシング)が再びサインツの前に立ちはだかったのだ。開幕大会アラゴンはサインツの母国ということもあり、優勝と2位という結果を持ち帰えることができた。しかし、サインツはシーズンが進むにつれて失速し、取りこぼしが増えてしまう。その結果、フラインスが14レース中5勝を含むシーズン9回の表彰台登壇という安定ぶりを見せてポイントを積み、選手権2位のサインツに45点差をつけてユーロカップのチャンピオンに輝いた。そして選手権3位はクビアトとなった。


 2011年9月にNEC、10月初頭にユーロカップのシリーズが終了すると、サインツは11月に開催されるF3マカオGPの参戦権利取得のために、10月下旬に開催されたユーロF3最終戦ホッケンハイムにシグネチャーから参戦(選手権対象外)。ここでF3実戦デビューを飾っている(3レース中リタイア2回/最高位5位)。続いて初挑戦となった11月のF3マカオGPはリタイアとなった。このシーズン終盤のF3での苦戦は、結果的に翌年の苦戦を暗示するかたちとなった。

■F3&GP3で大不振。窮地のサインツが選んだ“非王道ルート”



(Text:autosport web)


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