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【F1コラム】戦争と政治に揺れるF1:スエズ危機からイラン紛争まで、グランプリを奪った歴史的出来事とその舞台裏
2026年4月13日
ベテランモータースポーツジャーナリスト、ピーター・ナイガード氏が、F1で起こるさまざまな出来事、サーキットで目にしたエピソード等について、幅広い知見を反映させて記す連載コラム。今回は、バーレーンGPおよびサウジアラビアGPの中止に関連し、過去に戦争あるいは政治的理由でキャンセルされたグランプリについて振り返った。
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3月14日に、バーレーン(4月12日)とサウジアラビア(4月19日)のグランプリが中止されることが発表された。2月末のアメリカとイスラエルによるイラン攻撃以来、バーレーンとサウジアラビアはイランから攻撃を受けてきた。関係当局によると、紛争開始以来、バーレーンの防空システムはイランから発射された多数のミサイルとドローンを迎撃、破壊しており、石油精製所、海水淡水化施設、そして以前メディア用ホテルとして指定され毎年いくつかのチームが利用しているバーレーン・クラウンプラザも、ドローン攻撃を受けた。
サクヒールとジェッダでのレースを開催すべきではないことは最初から明らかだった。イランは中東におけるアメリカに関連する施設を標的にしている。F1のオーナーはアメリカのリバティ・メディアであり、イランがF1を狙う可能性は十分にあった。
それにもかかわらず、F1とFIAが2つのレースの中止を決定するまでには、恥ずべきほどの長い時間がかかった。その理由は、F1ではほとんど常にそうであるように、おそらく金の問題だ。バーレーンとサウジアラビアは、世界選手権のなかでも最大級の開催料を支払っている。
F1は責任を担う持続可能なスポーツというイメージを確立しようとしている。しかし、金を追い求めて関係者の安全を危険にさらすことは、責任を担っているとも持続可能とも言えない。
■1957年にはスエズ危機の影響でグランプリがキャンセルに
戦争の影響でF1レースが中止されたのは、これが初めてではない。
1956年11月、エジプトのガマール・アブデル・ナセル大統領がスエズ運河を国有化し、イギリス、フランス、イスラエルがエジプトに侵攻。ヨーロッパ向け石油輸送の主要ルートである運河は閉鎖され、ヨーロッパに経済的圧力がもたらされた。
1957年には、ベルギーおよびオランダGPの主催者は、スエズ危機による石油価格の高騰と経済への影響に起因する財政難に直面。F1チームに対して出場料の減額を提案したが、チーム側は拒否したため、両グランプリは中止に至った。その結果、FIAはペスカーラGPを急遽、世界選手権に追加した。
ここで少し脱線させてほしい。

イタリアのアドリア海沿岸ペスカーラの背後にある山岳地帯に設けられた全長25.8km(ラップタイム:約10分)の公道コースは、F1世界選手権で使用された中で最長のサーキットである。これほど長いコースで安全を確保することはほぼ不可能で、コース沿いの多くの小さな農場から迷い込む犬やヤギ、ロバがドライバーにとって大きな問題だった。
コースは石垣や生け垣、畑に囲まれ、いくつもの村を通り抜けていた。最終ラップでジャック・ブラバムは燃料切れになったが、ガソリンスタンドに滑り込むことに成功した。コース沿いの他の店と同様、レースのためそのスタンドも閉まっていたが、給油係が偶然その場にいた。彼はクーパーに数リットルの燃料を入れ、ブラバムはそのまま走り続け、ペスカーラで7位として完走した。
■アパルトヘイト政策への抗議で中止になった南アフリカGP

話を戦争と政治に戻そう。1973年末、アラブ石油輸出国機構OAPECは、ヨム・キプール戦争でイスラエルを支援した国々に対する石油禁輸を実施し、禁輸措置は1974年3月まで続いた。これにより原油価格は急騰し、ヨーロッパで深刻な危機が発生。フランスでは一時的にモータースポーツが制限されたが、1974年のフランスGPとモナコGPは開催された。
南アフリカGPは、多くのスポーツがアパルトヘイト下の南アフリカをボイコットした後も、F1カレンダーにとどまった。国内の不安が高まるなか、南アフリカ政府は1985年7月に非常事態を宣言。それにもかかわらず、同年10月にグランプリは開催されたが、フランスのチームであるルノーとリジェは、政府からの圧力を背景に、ボイコットした。さらに、ブラジル、スウェーデン、フィンランドなどの政府も自国ドライバーに参加しないよう圧力をかけたものの、最終的にレースは実施された。
レースの数日後、FIA/FISA会長ジャン=マリー・バレストルは、アパルトヘイトが終結するまでF1は南アフリカに戻らないと発表した。アパルトヘイトは1991年に終結し、南アフリカGPは1992年と1993年にF1カレンダーへ復帰した。
■ロシアのウクライナ侵攻でF1契約打ち切り

2011年F1シーズンはバーレーンGPで開幕する予定だったが、『アラブの春』によりバーレーンで大規模な騒乱が発生。世界選手権開幕戦を前に、首都マナーマおよびその周辺で抗議活動が激化した。バーレーン人権センター代表のナビール・ラジャブは、抗議者はF1を同国の政治・人権問題に国際的な注目を集める機会とみなしていると発言した。
このような状況を受け、バーレーン・インターナショナル・サーキットの主催者は、予定されていた開幕戦の約3週間前にあたる2011年2月21日、レースの中止を発表した。
2022年にはサウジアラビアGPも中止寸前の危機に陥った。金曜プラクティス中、イエメンのフーシ派が発射したミサイルがジェッダ・サーキットから数キロ離れた大規模な石油施設に命中した。巨大火災の黒煙はコース上に流れ込み、多くのドライバーがすぐに帰国を望んだ。金曜夜に数時間にわたる会議が行われ、現地当局が防空システムの有効性をF1組織とドライバーに納得させた後、週末の残りの開催が決定された。


2022年2月にロシアがウクライナへ侵攻した際、F1とFIAは称賛に値する決断力で対応し、ロシアGPをほぼ即座にカレンダーから外した。ドライバーたちもこの決定を支持し、当時の世界チャンピオンであるマックス・フェルスタッペンはこう語った。
「国が戦争状態にあるとき、そこでレースをするのは正しくない」
ちなみに今のアメリカは、「イランとは戦争状態にない」と主張、中東で起きていることを紛争と位置づけている。そのイラン紛争により、今年のバーレーンGPとサウジアラビアGPがキャンセルされ、現在F1は5週間の空白期間を過ごしている。
(Text : Peter Nygaard)
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| 予選 | 結果 / レポート | |
| 3/29(日) | 決勝 | 結果 / レポート |
| 1位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 72 |
| 2位 | ジョージ・ラッセル | 63 |
| 3位 | シャルル・ルクレール | 49 |
| 4位 | ルイス・ハミルトン | 41 |
| 5位 | ランド・ノリス | 25 |
| 6位 | オスカー・ピアストリ | 21 |
| 7位 | オリバー・ベアマン | 17 |
| 8位 | ピエール・ガスリー | 15 |
| 9位 | マックス・フェルスタッペン | 12 |
| 10位 | リアム・ローソン | 10 |
| 1位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 135 |
| 2位 | スクーデリア・フェラーリHP | 90 |
| 3位 | マクラーレン・マスターカード・フォーミュラ1チーム | 46 |
| 4位 | TGRハースF1チーム | 18 |
| 5位 | BWTアルピーヌF1チーム | 16 |
| 6位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 16 |
| 7位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 14 |
| 8位 | アウディ・レボリュートF1チーム | 2 |
| 9位 | アトラシアン・ウイリアムズF1チーム | 2 |
| 10位 | キャデラックF1チーム | 0 |


