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ルクレール「ジュールをレーサーとしてより、ひとりの人間と感じている」ビアンキの人間性やカートで培った競争心を振り返る

2025年7月18日

 この厳粛な日に、シャルル・ルクレール(フェラーリ)の言葉は、喪失の痛みだけでなく、彼の人生とキャリアを形作った絆への深い感謝の気持ちを反映している。2014年のF1日本GPでジュール・ビアンキが負傷し、2015年7月17日に亡くなってから10年が経った。この事故はモータースポーツ界に衝撃を与え、最も将来を有望視されていた、ひとりの若き才能の持ち主を奪った。


 ルクレールにとって、この日は単なる日付以上の意味を持つ。これは亡くなったF1ドライバーを思い出す瞬間であるだけでなく、ルクレールのゴッドファーザーであり、グランドスタンドからではなく、彼の隣で兄弟のように導いてくれた若者を思い出す瞬間でもある。

2015年F1ハンガリーGP
2015年F1ハンガリーGP グリッドでジュール・ビアンキの追悼が行われた

■「彼をレーサーとしてよりも、ひとりの人間と感じていた」

「僕が覚えているジュールの最初の思い出は、ドライバーとしてのジュールではなく、むしろジュールという人間についてのものだ。僕は彼をレーサーとしてよりも、ひとりの人間と感じていたからだ」と、スクーデリアのドライバーは『F1.com』に語った。


 彼らの友情は家族のつながりを通じて始まった。ビアンキはルクレールの兄ロレンソの親友であり、すぐにルクレール家に欠かせない存在となった。


「僕たちは成長する過程で多くの時間を一緒に過ごしたし、両家の家族は当時も今もとても親密だ。僕の兄と彼は親友だったので、いつも近くにいた」


 ルクレールとビアンキの間に生まれたのは、単なる尊敬を超えた何かだった。それは親しみと愛情、そして笑いだった。ルクレールは、子供時代の特に甘くユーモラスな思い出を振り返った。


「その頃の話はいくつかあるけれど、僕が初めて観たホラー映画は、実はジュールが出演していたものだったんだ」


「彼は僕が寝たふりをしていたことを知らなかった。彼は僕の兄と一緒にその映画を見たかったので、僕が寝ていることを確認しようとしていたんだ!」


 この愉快な物語のなかでも、ルクレールはビアンキが彼に示した気遣いを捉えている。たとえルクレールがずっとこっそり起きていたとしても、年下の弟子を恐怖から守る兄のような存在だった。しかし、遊び心を超えて消えることのない痕跡を残したのは、ビアンキの温かさと精神だった。


「ジュールは本当に素晴らしい人だった」


「彼はとても面白くて、よく知り合うようになるとクレイジーなときもあった。彼はいつも喜んで助けてくれたし、楽しむこともとても好きだった」

ジュール・ビアンキ(マルシャF1チーム)
2014年F1ベルギーGP ジュール・ビアンキ(マルシャF1チーム)

■カート時代と競争心

 ルクレールとビアンキの最も大切な思い出のほとんどは、太陽の下、ジュールの父であるフィリップ・ビアンキが経営するカートトラックで生まれたものだ。フェラーリやモナコの華やかさよりもずっと前から、そこではいたずらや競争、そして純粋な喜びのなかで、将来の世界クラスのドライバーが育てられていた。


「通常、レンタルカートは大人向けだが、彼の父親がコースを管理していたので、僕たちには許されていないようなことをさせてくれたのかもしれない」とルクレールは振り返った。


「僕は彼を尊敬していたので、彼や兄、彼の弟、そして当時の他の多くのプロカートドライバーと一緒にレースをすることは、信じられないほど素晴らしいことだった」


「とても楽しかった。僕たちはカートコースが終業になって、自分たちが乗れるようになるまで待っていた。それから何時間もコース上で大騒ぎをした。これらはおそらく僕にとって最も特別な思い出だ」

ジュール・ビアンキ(マルシャF1チーム)
2014年F1イギリスGP ジュール・ビアンキ(マルシャF1チーム)

 こうした終わりのない日々や夜遅くまで続くサーキット走行から、今日のルクレールの特徴のひとつである、激しく揺るぎない競争心が生まれた。それもビアンキのおかげだとルクレールは言う。


「ジュールは僕が今まで出会ったなかで最も競争心の強い人だった。僕もジュールのおかげで競争心が身についたと感じている」


「カートでレースをしていたとき、競争心はあったが、家でやった一番愚かなことのなかにも、まったく同じ競争心があった。彼は何かに負けると、とてもイライラするんだ!」

■「いかに優しい人間であったか、いかに努力していたか」

 フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)のメンバーだったビアンキは、F1のトップチームでドライブする機会を一度も得られなかった。頂点まで上り詰める才能を持っていた彼にとっては、残酷な運命だった。しかしルクレールにとってビアンキのレガシーは、結果や表彰台を逃したことだけに限られたものではない。


「ジュールは非常に才能のあるドライバーだったが、残念ながら、彼の才能を発揮するのに役立つマシンを持ったトップチームに入るチャンスがなかった」

ジュール・ビアンキ
フェラーリの2014年型マシン『F14-T』をテストしたジュール・ビアンキ

 しかし、おそらく何よりもルクレールが大切にしているのは、ジュールが持っていた光、つまり彼がどのような人間であったかということだ。


「目や笑顔を見れば、その人の素晴らしさがわかる人がいる。ジュールもそのひとりだと思う」


「僕にとってジュールについて覚えている最も重要なことは、彼がいかに優しい人間であったか、そして目標を達成するためにいかに献身的に努力していたかということだ」


 ジュール・ビアンキが亡くなって10年、世界中が彼のことを偲んでいるが、ルクレールはその思い出を言葉にするだけではない。彼は、レースのラップごとに、リスクを冒すごとに、そしてヘルメット越しに微笑むごとに、ジュールの面影を少しだけ傍らに留めている。

シャルル・ルクレール(フェラーリ)
2024年F1日本GP ジュール・ビアンキのトリビュートヘルメットを着用するシャルル・ルクレール(フェラーリ)


(Text : autosport web / Translation:AKARAG)


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