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F1名ドライバー列伝(3)ミカ・ハッキネン:シューマッハーも尊敬したファイター。名オーバーテイクを歴史に残す
2020年5月18日
2020年はF1世界選手権にとって70周年にあたる。その歴史のなかで、33人のワールドチャンピオン、108人のグランプリウイナーが誕生、数々の偉大なるドライバーたちが興奮と感動をもたらしてきた。この企画では、英国ジャーナリストのChris Medlandが何人かの名ドライバーを紹介、彼らが強い印象を刻んだ瞬間を振り返る。
今回紹介するのは、F1でタイトル2回、優勝20回、ポールポジション26回を獲得したミカ・ハッキネン。1991年にロータスからF1デビュー。1993年にマクラーレンと契約、1998年と1999年にチャンピオンになった後、2001年末でF1から退いた。
同年代のミハエル・シューマッハーとはジュニアフォーミュラ時代から競い合った仲で、シューマッハーは「一番尊敬するライバルは?」との質問にハッキネンを挙げている。
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ミハエル・シューマッハーほど偉大なドライバーを驚かせ、意識させるのは容易なことではないが、それをやってのけたドライバーが少なくともひとりいる。
シューマッハーが最初の2回のタイトルを獲得する際、最後まで争ったのはデイモン・ヒルだった。1994年にアイルトン・セナが死去した後、ヒルはウイリアムズのチームリーダーの役割を担い、シューマッハーに戦いを挑んだのだ。当時シューマッハーにとって最大のライバルはヒルだったのは間違いない。だがそのヒルは、シューマッハーから尊敬されていると感じたことは一度もなかったと主張している。
それが事実かどうかは分からないが、シューマッハーが尊敬の念を抱いたライバルがひとりいることは確かだ。それは、フェラーリでの初タイトルをつかもうとしていたシューマッハーの前に立ちはだかったミカ・ハッキネンだ。
ハッキネンとシューマッハーは、ジュニアカテゴリーで走っていたころはライバル同士だったものの、F1に昇格してしばらくは、ホイール・トゥ・ホイールのバトルをする機会があまりなかった。シューマッハーはベネトンで優勝を重ね、タイトルも獲得したが、ハッキネンはロータスでデビューした後、さほど競争力が高くないマクラーレンで走っていた。
ハッキネンは、1995年アデレイドで生命にかかわるほどの大クラッシュを喫したが、翌1996年にF1に復帰。シーズン後半には何度も表彰台に上り、勢いをつけた後、1997年にF1初優勝を達成した。このころ、フェラーリとシューマッハーが強さを増しつつあったものの、マクラーレンにはエイドリアン・ニューウェイが加入、ハッキネンもタイトルに手が届くポジションに浮上した。
1996年以来、シューマッハーはフェラーリでの初のタイトルを目指して戦ってきたが、目標達成には数年を要した。1999年の骨折もあって、1998年、1999年にはハッキネンに敗北。2000年、再びふたりはタイトルをめぐって争うことになった。
■スパで見せた歴史に残るオーバーテイクで、シューマッハーに勝利
ハンガリーGPで勝利を収めたハッキネンは、ベルギーGPを前に、選手権でシューマッハーを2ポイントリード、タイトル争いは白熱していた。
ハッキネンはポールポジションを獲得。決勝はウエットコンディションのためにセーフティカー先導のもとでのスタートとなり、ハッキネンはその後も順調にレースをコントロールし、ドライタイヤに履き替える前の時点では10秒のギャップを築いていた。一方のシューマッハーは4番手から2番手に順位を上げ、ハッキネンにプレッシャーをかけ始めた。
ふたりのギャップが5秒以内に縮まった時、ハッキネンはスピンを喫し、ライバルにリードを譲り渡す。シューマッハーは10秒以上先に逃げていったが、ハッキネンはフェラーリより10km/h勝ったトップスピードのアドバンテージを生かし、首位を取り戻すべく、ギャップを縮めていった。
この時のハッキネンは、リスクを冒す必要はなかった。スピンをしてしまったものの、幸いレースを続行することができたのだし、シューマッハーに続く2位でフィニッシュできれば、チャンピオンシップではライバルの2ポイント後ろに下がるだけで済む。ところが、そういう計算はハッキネンの頭には一切なかったようだ。残り周回数が少なくなりつつあるなか、ハッキネンは必死にプッシュし、シューマッハーを追い続けた。
44周のレースの40周目、ハッキネンはケメルストレートでフェラーリに仕掛ける。しかし最後の瞬間にシューマッハーが強力なディフェンスを見せ、オーバーテイクは失敗に終わった。ハッキネンはそこで諦めるどころか、かえって、勝利への執念を燃え立たせ、シューマッハーに挑みかかった。
1周後、同じシチュエーションまで持ち込んだ時、ふたりの目の前にバックマーカーのリカルド・ゾンタがいた。まずはシューマッハーがBARのトウ(スリップストリーム)を利用、続いてハッキネンもスリップに入り、コース中央を走るゾンタを、ふたりが左右に分かれて追い抜いた。
レーシングラインをキープしていたシューマッハーは、ハッキネンを振り切ったものと考えていた。そのためレ・コームへのブレーキングでマクラーレンがイン側に飛び込んできたことに驚いた。シューマッハーはリードを手放さざるを得ず、ディフェンディングチャンピオンのハッキネンは、レース残り3周のところで再びトップに立ち、劇的な勝利を収めた。
ハッキネンは、あの勇敢なオーバーテイクで、シューマッハーとコース上で互角に渡り合える能力があることを証明した。それに加えて、思いどおりにいかない状況のなかで感情をコントロールしながら勝利を狙えるドライバーであることも示したといえるだろう。
この勝利でハッキネンは、残り4戦の時点でシューマッハーを6点リードすることとなったが、最終的にタイトルをつかむことはできなかった。それでも、ハッキネンのあの目の覚めるようなオーバーテイクは、F1のなかでも最高レベルのドライバーというステータスを、より確固たるものにしたのではないだろうか。
(Text:Chris Medland)
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| 12/5(金) | フリー走行1回目 | 結果 / レポート |
| フリー走行2回目 | 結果 / レポート | |
| 12/6(土) | フリー走行3回目 | 結果 / レポート |
| 予選 | 結果 / レポート | |
| 12/7(日) | 決勝 | 結果 / レポート |
| 1位 | ランド・ノリス | 423 |
| 2位 | マックス・フェルスタッペン | 421 |
| 3位 | オスカー・ピアストリ | 410 |
| 4位 | ジョージ・ラッセル | 319 |
| 5位 | シャルル・ルクレール | 242 |
| 6位 | ルイス・ハミルトン | 156 |
| 7位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 150 |
| 8位 | アレクサンダー・アルボン | 73 |
| 9位 | カルロス・サインツ | 64 |
| 10位 | フェルナンド・アロンソ | 56 |
| 1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 833 |
| 2位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 469 |
| 3位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 451 |
| 4位 | スクーデリア・フェラーリHP | 398 |
| 5位 | アトラシアン・ウイリアムズ・レーシング | 137 |
| 6位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 92 |
| 7位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 89 |
| 8位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 79 |
| 9位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 70 |
| 10位 | BWTアルピーヌF1チーム | 22 |
| 第20戦 | メキシコシティGP | 10/26 |
| 第21戦 | サンパウロGP | 11/9 |
| 第22戦 | ラスベガスGP | 11/22 |
| 第23戦 | カタールGP | 11/30 |
| 第24戦 | アブダビGP | 12/7 |


