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【F1ドライバーの履歴書】GP2戴冠から日本へ。レッドブルの人事に翻弄されたガスリー

2026年4月17日

 世界最高峰の4輪レースであるF1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり。そこで、F1に到達するまでに彼らがどれほど活躍し、いかにして周囲のライバルとの違いを見せつけてきたのかを改めて確認するべく、2026年F1に参戦する22名がF1ドライバーになる前、ステップアップカテゴリーで残してきた結果やエピソードを『F1ドライバーの履歴書』と題した不定期連載でお届けする。


 第10回目に登場するのは、2017年シーズン終盤にF1デビューを飾った現在30歳のピエール・ガスリーだ。

 1996年2月7日、フランス北西部の都市ルーアンに生まれたガスリー。彼の生まれた家は、祖父、祖母、そして父がレースを戦うレース一家だった。ただ、ピエール少年の興味はサッカーに注がれており、彼のヒーローはジネディーヌ・ジダンだった。


 転機は、父の友人が「うちの子のカートに乗るかい?」と、誘ったことだった。それまでサッカーボールを追いかけていた少年が、初めてカートを走らせ、モータースポーツの虜になるにそう時間は掛からなかった。ガスリーを誘った人物はローレント・オコンといい、彼の息子はガスリーと同じ1996年生まれで、エステバンという少年だった。6歳でレーシングカートを始めた翌年、ガスリーはサッカークラブと並行してレーシングカート競技への参戦をスタートさせた。


 2010年までレーシングカートを戦い、同年にはCIK-FIAヨーロッパ選手権KF3部門で選手権2位という成績を残した。なお、レーシングカート参戦で学校を欠席することが多くなったガスリーは、FFSAフランスモータースポーツ連盟が運営する育成プログラム『FFSAアカデミー』の門を叩き、ル・マンに移り住んでいる。親元を離れFFSAアカデミーの寮に入ることになったが、幸いルームメイトとなったのは幼少期からの親友で、コース上では切磋琢磨するライバルでもあったアントワーヌ・ユベールだった。その後、18歳までの5年間をル・マンで過ごした


 そんなガスリーの四輪デビューは15歳となった2011年、FFSAが主催するフランスF4だった。その年の最年少ドライバーだったガスリーは、最多勝となる4勝を記録。ただ、序盤戦で3回のリタイアもあり選手権は3位に。シリーズタイトル獲得には届かなかったが、これでFFSAからフォーミュラ・ルノー2.0に参戦する資金援助(スカラシップ)を得ることが叶ったのだった。

 2012年の主戦場はユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0。所属チームはフランスのR-ace GPで、チームメイトのひとりにニック・デ・フリースがいた。この年のユーロカップは“豊作の年”と評せるほどの名手・巧者揃いであり、チャンピオンはストフェル・バンドーン、選手権2位はダニール・クビアト、選手権3位はオリバー・ローランド、選手権4位はノーマン・ナト、そして選手権5位はデ・フリースだった。ガスリーは2度の3位表彰台が精一杯で、選手権10位でユーロカップ初年度を終えた。なお、選手権14位はエステバン・オコンだった。


 2013年シーズンも主戦場はユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0だが、フランスのテック1レーシングに移籍。この移籍の効果は抜群で、ガスリーはポールポジション4回、優勝3回。14レース中8回の表彰台という安定して好成績を刻み続けたこともあり、ユーロカップの史上最年少王者に輝いた。そしてFFSAの紹介を経て、ガスリーは2014年シーズンよりレッドブル・ジュニア・チーム入りを果たすのだった。


 これまでFFSAが主な支援元だったが、FFSAの支援は決してレーシングドライバーの立場を保証するレベルではなく、ガスリー家は活動資金への不安が尽きなかった。レッドブルの育成入りでようやく活動資金の心配は無くなったが、ここからはより激しく、ときに非情なレッドブル育成内で生き残ることが求められた。

 18歳となった2014年、ガスリーはフォーミュラ・ルノー3.5にステップアップを果たした。レッドブルが用意したシートで、クリスチャン・ホーナーの父ギャリー・ホーナー率いるアーデン・モータースポーツからの参戦だった。同年のフォーミュラ・ルノー3.5には同じレッドブル育成のカルロス・サインツ(ダムス)が参戦していた。サインツはF1テスト参加経験もある育成の筆頭ドライバーだったが、過去2年のF3、GP3で結果を残せず、窮地に立たされていた。それゆえに、ガスリーがどこまでサインツに迫れるかは注目であり、サインツを超えることができればサインツを追い抜いてF1昇格、という可能性もゼロではなかった。


 ただ、サインツは前年のチャンピオンチームに加入。一方のガスリーのアーデンは前年選手権4位の中堅チームだった。この前評判どおり、サインツは2014年シーズンを圧倒した。ガスリーは17レース中8回の表彰台登壇を果たすも、一度も優勝できず。それでもサインツに続く選手権2位という成績を残した。


 サインツはフォーミュラ・ルノー3.5タイトルを引き下げてトロロッソ入りを果たしている。また、ガスリーは早い段階から翌2015年のGP2フル参戦を視野に入れ、2014年終盤3大会のケータハム・レーシング(GP2チーム)のシートを得た。ただ、同チームの戦闘力不足が響き最高位は11位、入賞には届かなかった。

 2015年、ガスリーはダムスからGP2に本格参戦を開始した。しかし、ガスリーは大苦戦。この年のGP2はチャンピオンとなったバンドーン(ARTグランプリ)を筆頭に、アレクサンダー・ロッシ(レーシングエンジニアリング)、セルゲイ・シロトキン(ラパックス)、リオ・ハリアント(カンポス・レーシング)と好敵手が揃っており、なおかつチームメイトのアレックス・リンが2勝を飾る一方でガスリーは未勝利に終わり、チームメイトにすら勝てないシーズンだった。


 そんな苦戦の1年となった2015年、5月にはレッドブルとトロロッソのF1マシンをそれぞれテスト。9月からはレッドブルのリザーブドライバーとして登録され、F1参戦が現実味を帯びる状況にまで近づいたのだった。

 2016年のGP2を迎えるにあたり、ガスリーはプレマ・レーシングに移籍した。この時点でのプレマ・レーシングは、前年をもってGP2を離れたラザルスに代わる新規参戦チーム。すでにFIA F3ヨーロピアン選手権などでその強豪ぶりを発揮していたが、F1直下のシリーズへは初挑戦だった。


 ただ、プレマ・レーシングは初年度からGP2を征服した。最終的に選手権争いを繰り広げたのはプレマ・レーシングのガスリーとアントニオ・ジョヴィナッツィで、わずか8点差でガスリーがタイトルを掴んだ。ジョヴィナッツィから選手権3位のシロトキンまで52点差という、新規参戦チームとは思えないプレマ勢の圧倒ぶりは凄まじいものがあった。

 しかし、GP2最終戦を迎える前に、トロロッソが翌年に向けてクビアトとサインツの継続起用を発表した。レッドブルからトロロッソに降格したクビアトに関しては、2016年いっぱいでトロロッソを離れるのではないかという予想もあり、代わってそのシートにGP2で大活躍を見せたガスリーが座るのではないかと噂されていた。しかしその予想は外れ、GP2タイトルを掴んだガスリーがF1に昇格できない事態となった。


 F1のシートが空く瞬間を待ちつつ、ガスリーは全日本スーパーフォーミュラ選手権にTEAM 無限(当時のエントラント登録名)から参戦する。ガスリーの前に立ちはだかったのは、前年のチャンピオンチームであるP.MU/CERUMO・INGINGから参戦する石浦宏明で、6大会7レースを終えた時点でガスリーは0.5点差のランキング2位につけていた。


 ただ、ここでガスリーにチャンスが舞い込んだ。成績不振のクビアトに代わり、第15戦マレーシアGPから最終戦までトロロッソのレギュラーシートを掴むことが叶ったのだった。F1最終戦までは6戦あったが、第17戦アメリカGPはスーパーフォーミュラ最終戦鈴鹿(2レース)と同じ週末の開催だったため、最終的にはレッドブルとホンダの判断によりスーパーフォーミュラへ参戦することを選んだ。なお、トロロッソはアメリカGPにクビアトを1戦復帰させ、同年のル・マン24時間ウイナーのブレンドン・ハートレーをそのチームメイトに起用したのだった。

 2017年スーパーフォーミュラ最終戦『第16回JAF鈴鹿グランプリ』は、現役F1ドライバーのガスリーと石浦の直接対決が決する場となるはずだった。しかし、同週末の日本列島には台風21号が接近。フリー走行と予選が行われた土曜日の時点で豪雨となり、予選はQ1のみの実施に。それでも赤旗が4回入る大荒れ模様だった。明けて日曜日に予定されていた2回の決勝レースが中止となることが土曜日の夕刻に発表され、その時点で石浦のチャンピオンが確定。ガスリーは0.5点差の2位となった。との時のガスリーの心境については、当時のオートスポーツwebの記事を確認してほしい(URL:https://www.as-web.jp/super-formula/173656)


 スーパーフォーミュラは惜しくもタイトルに届かなかったガスリー。しかし、その約1カ月後の11月にはトロロッソ・ホンダのレギュラードライバーへの起用が発表されたのだった。その後、ガスリーは長らくホンダ・パワーユニットとともに歩み、アルファタウリ・ホンダから参戦した2020年9月の第8戦イタリアGPにおいて、悲願のF1初優勝を飾ったのだった。これが本稿掲載時点で、ガスリーのF1キャリアで唯一の優勝となっている。


 ガスリーがF1に到達できた大きな要因は、レッドブルからの惜しみない支援体制によるものだろう。ただ、一度はトロロッソからレッドブルへの移籍を果たすも、1年経たずトロロッソに戻されるという苦い経験もあった。それでも、ガスリーは2026年も母国フランスのチームであるアルピーヌのエースドライバーを務めている。



(Text:autosport web)


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