【訃報】元F1ドライバーでカンポス・レーシングのオーナー、エイドリアン・カンポスが死去
2021年1月28日
1月28日(木)、レーシングチームのカンポス・レーシングは、チームのツイッターを通じて、代表取締役でありチーム創設者のエイドリアン・カンポスが亡くなったことを発表した。
元レーシングドライバーであるカンポスは、1987年にミナルディからF1にデビュー。信頼性の低いエンジンに苦戦し、完走はわずか1回と厳しいデビューイヤーを過ごした。翌1988年もミナルディのステアリングを握ったが、シーズン途中でピエルルイジ・マルティニと交代となった。
その後カンポスはル・マン24時間レースなど複数のレースに出場し、ドライバー引退後にカンポス・レーシングを創設。1998年にはオープン・フォーチュナ・バイ・ニッサン(後のワールドシリーズ・バイ・ニッサン)でマルク・ジェネを、1999年にはフェルナンド・アロンソを起用。両者ともにタイトルを獲得した。なおアロンソは、その後カンポスと同じくミナルディからF1にデビューした。
戦いの場をGP2に移したカンポス・レーシングは、2010年からF1に参戦する予定だったが、資金不足により参戦は叶わず。カンポス自身はチーム代表を辞任したが、その後チームはHRT F1チームへと体制を改め、2010年から2012年までの3シーズンを戦った。
また、カンポス・レーシングはモータースポーツのマネジメント企業であるモナコ・インクリース・マネジメント(MIM)とともに2021年からのF1参戦を目指しているとの報道があった。しかし新型コロナウイルスのパンデミックにより、新規則の導入が2022年に延期されたことなどを受けて、参戦の計画は先送りにされたと報じられている。
現在カンポス・レーシングはFIA-F2、FIA-F3などに参戦している。ジェネやアロンソをはじめ、これまで数多くのドライバーがカンポスでレースを戦っており、日本人では佐藤公哉(GP2/2014年)、佐藤万璃音(FIA-F2/2019年)などが在籍。また全日本スーパーフォーミュラ選手権でも活躍したアレックス・パロウも、カンポスからユーロフォーミュラ・オープン選手権やGP3、F2に出場した。
チームの公式ツイッターでは、以下のように述べている。
「今日はカンポス・レーシングの歴史において、最も悲しい日だ。我々の代表取締役、そして創設者のエイドリアン・カンポス・スニェルが亡くなった。彼の心臓は鼓動を止めたが、彼の記憶は、彼の遺産を引き継いで我々が戦い続けるためのエンジンとなる。安らかに」
(autosport web)
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1位 | オスカー・ピアストリ | 336 |
2位 | ランド・ノリス | 314 |
3位 | マックス・フェルスタッペン | 273 |
4位 | ジョージ・ラッセル | 237 |
5位 | シャルル・ルクレール | 173 |
6位 | ルイス・ハミルトン | 125 |
7位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 88 |
8位 | アレクサンダー・アルボン | 70 |
9位 | アイザック・ハジャー | 39 |
10位 | ニコ・ヒュルケンベルグ | 37 |

1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 650 |
2位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 325 |
3位 | スクーデリア・フェラーリHP | 298 |
4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 290 |
5位 | ウイリアムズ・レーシング | 102 |
6位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 72 |
7位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 68 |
8位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 55 |
9位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 46 |
10位 | BWTアルピーヌF1チーム | 20 |

第18戦 | シンガポールGP | 10/5 |
第19戦 | アメリカGP | 10/19 |
第20戦 | メキシコシティGP | 10/26 |
第21戦 | サンパウロGP | 11/9 |
第22戦 | ラスベガスGP | 11/22 |

