F速

  • 会員登録
  • ログイン

2007年のアロンソとレッドブルF1の苦々しい極秘交渉をマルコ博士が明らかに。「数週間待ったが、完全に無視された」

2019年1月22日

 フェルナンド・アロンソとレッドブルが2007年の秋、スペインの首都マドリッドで移籍に向けて極秘交渉を行っていたことを、ヘルムート・マルコ博士がこのほど明らかにした。


 アロンソとレッドブルがこれまで何度も話し合いを持ったことは、秘密でも何でもない。しかし交渉はその度に、失敗していた。今回マルコ博士が明らかにしたのは、アロンソがマクラーレンに在籍していた2007年当時の交渉経緯である。この年のアロンソはチームメイトのルイス・ハミルトンとタイトルを激しく争う間に、チーム内で孤立。


 さらにフェラーリとのスパイ疑惑問題で、当時のチーム代表のロン・デニスと決定的に対立していた。そのため同年秋には他チームへの移籍が囁かれていたが、今回のマルコ博士の証言はその噂を裏付けたことになる。


 当時、すでにトヨタはアロンソ獲得の意思を公言し、実際に莫大な額の年俸をオファーしたと言われる。さらに古巣のルノーへの復帰も、有力視されていた。そんな中、2005年にF1に参入したばかりで、3位表彰台が最高成績だった新興チームのレッドブルはまったくのノーマークだった。

■最初から難航したフェルナンド・アロンソ獲得交渉

 しかしレッドブル上層部は、チーム力の引き上げにはアロンソのような超一流ドライバーの加入が不可欠と考え、同年秋にマルコ博士が直々にマドリッドまで赴き、ホテルの一室でマネジャーのルイス・ガルシア・アバドと極秘会談を持った。しかし交渉は最初から、かなり難航した。


「アロンソ自身も取り巻きも、はっきり言ってかなり高飛車だった。年俸の高さもさることながら、パフォーマンス条項や関連商品の展開などで主導権を握りたがったんだ」


 そこでマルコ博士はアバドに、「意向はよくわかった。ではそちらの要求を盛り込んだ契約書の原案を、送ってくれないか。それをじっくり検討して、改めて話し合おう」と伝えてオーストリアに戻った。


「われわれは1週間の猶予を、アロンソ側に与えたんだ。ところが2週間経っても、何の音沙汰もなかった。さらに数週間待ったが、完全無視だったよ。それで私はアバドに、こう言った。『もういい。この話はなかったことにしよう』とね」。


 アロンソは最終的に2008年のルノー復帰を決めたが、05年、06年にタイトル連覇した頃の戦闘力はチームになく、2010年にフェラーリへ移籍することになった。



この記事は f1i.com 提供の情報をもとに作成しています



(翻訳・まとめ:Kunio Shibata)


レース

3/27(金) フリー走行1回目 結果 / レポート
フリー走行2回目 結果 / レポート
3/28(土) フリー走行3回目 結果 / レポート
予選 結果 / レポート
3/29(日) 決勝 結果 / レポート


ドライバーズランキング

※日本GP終了時点
1位アンドレア・キミ・アントネッリ72
2位ジョージ・ラッセル63
3位シャルル・ルクレール49
4位ルイス・ハミルトン41
5位ランド・ノリス25
6位オスカー・ピアストリ21
7位オリバー・ベアマン17
8位ピエール・ガスリー15
9位マックス・フェルスタッペン12
10位リアム・ローソン10

チームランキング

※日本GP終了時点
1位メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム135
2位スクーデリア・フェラーリHP90
3位マクラーレン・マスターカード・フォーミュラ1チーム46
4位TGRハースF1チーム18
5位BWTアルピーヌF1チーム16
6位オラクル・レッドブル・レーシング16
7位ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム14
8位アウディ・レボリュートF1チーム2
9位アトラシアン・ウイリアムズF1チーム2
10位キャデラックF1チーム0

レースカレンダー

2026年F1カレンダー
第3戦日本GP 3/29
第4戦マイアミGP 5/3
第5戦カナダGP 5/24
第6戦モナコGP 6/7
第7戦バルセロナ・カタルーニャGP 6/14
  • 最新刊
  • F速

    2026年4月号 Vol.2 シーズン開幕直前号