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GP INSIDE ピットからの証言ドキュメント
ROUND 5 Spanish GP

「アロンソのフェラーリ」であることを覚悟して臨んだ今季。その僚友の地元で初めて予選で先んじ、何かを掴んだかに見えたライコネン。しかし、レース戦略が不発に終わる。

怒れるアイスマン、闘志は尽きず

 1時間41分あまりのレースを終え、車検室から出て各国のテレビクルーが集まるミックスゾーンに姿を現したキミ・ライコネンは、明らかに怒っていた。なぜなら、今季初めてフェルナンド・アロンソよりも上位グリッドからスタートしたにもかかわらず、チームメイトと異なるピットストップ戦略を強いられ、レース終盤に逆転されて7位でフィニッシュしていたからだ。

「チームの判断をどう思うか?」と尋ねられたライコネンは、「いまはまだ分からないけど、はっきりさせたいことがあるのは確かだ」と答えると、付き添いの広報の制止を振り切って、インタビューを続けようと待っている数十人のテレビクルーを残したまま、ミックスゾーンを出てエンジニアたちが待つトランスポーターへと足早に消えていった。

 その状況をパーソナル・マネージャーのスティーブ・ロバートソンは、遠くから微笑みながら眺めていた。
「15年前に初めて会った頃と、何も変わっていないんだ」
 1999年に、20歳までオランダでゴーカートをしていたライコネンの才能を見いだし、イギリスのフォーミュラ・フォードにステップアッブさせたのは、スティーブ・ロバートソンの父、デイビッド・ロバートソンだった。デイビッドはロンドン近郊のチックウェルの自宅にライコネンを住まわせ、家族同様に育てた。
 その家にはスティーブも同居しており、15歳年上のスティーブはライコネンを弟のようにかわいがった。なぜなら、スティーブも有望なレーシングドライバーだったからである。しかし、スティーブの夢は96年限りで途絶えていた。そこに現れたのが、ライコネンだった。

「私の家に来た頃、キミはほとんど英語がしゃべれなかったから、まず英語を教えることから始めたよ。でも、みんなも知っているように、キミはおしゃべりじゃないから、教えるのが大変だった。でも、気がついたら、きちんと理解できるようになっていた。じつは私には4歳になる息子がいて、息子と遊びながら覚えていたみたいなんだ。英語が身に付いても、その寡黙さは変わらず、それは父が亡くなった時も同じだった」とスティーブは語る。

 ガンとの闘病生活を送っていたデビッドが亡くなったのは今年2月。ヘレスのテストを終えてスイスの自宅に帰っていたライコネンはすぐにイギリスへ飛び、葬儀に参列した。2011年に実の父親を亡くしていたライコネンにとって、デイビッドは第二の父だった。そのデイビッドも失ったライコネン。葬儀では、まるで実の父親を亡くしたかのように悲痛な面持ちだったという。そんなライコネンにスティーブは言った。
「時間はだれにも止められない。だから、私たちもここで立ち止まってはいけないんだよ」

 ふたりの父を失って迎える12年目のF1シーズン。しかし、ライコネンが5年ぶりに復帰したフェラーリが開発したF14Tは、戦闘力に問題を抱えていた。だが、問題はマシンだけではないと見るのは、昨年までライコネンのレースエンジニアを務めていたマーク・スレードである。ライコネンが02年にマクラーレンに移籍してきた時に担当となったスレードは、その後5年間、ともに戦い、12年にロータスで再会してからも2年間、一緒に仕事した仲である。07年にマクラーレンでフェルナンド・アロンソのレースエンジニアを務めたこともあるスレードは、フェラーリでのライコネンの状況を次のように予想していた。

「フェルナンドはどちらかというとアグレッシブなタイプなのに対して、キミはとても紳士的なスタイル。4年間フェルナンドが好むマシンを作ってきたフェラーリでの1年目のシーズンは、キミにとって決して簡単ではないはず」

 スレードの杞憂は間違ってはいなかった。開幕してから4戦目までの予選で、ライコネンは常にアロンソの後塵を拝したのだ。
 現役最年長となったライコネンに、ある日の会見でこんな質問が飛んだ。
「レースへのモチベーションを失ったのか?」
 ライコネンは珍しく、やや興奮気味に反論した。
「モチベーションがなければこの場所にはいないし、その質問にも答えないよ」

 だから、チームメイトにオーバーテイクされたスペインGPのレース後、「はっきりさせたいことがある」と言って、エンジニアリングルームに向かうライコネンを見たスティーブは「キミはまだやれる」と確信しているという。
「キミが戦うべき相手はチームメイトでも、フェラーリでもない。トップになること。その気持ちがある限り、私がキミのマネージメントをやり続ける。天国にいるデイビッドもきっと同じ思いだろう」
 ライコネンとスティーブの二人三脚の旅は、まだまだ続く。

終始アロンソを抑え込んだが、急きょ3ストップに変更した同僚の戦略にしてやられた。「結果に大差はないが、なぜ2ストップだったか聞きたい」とライコネンは憮然

自らもF1を目指し、英国F3、国際F3000を戦ったスティーブ・ロバートソン(富士のインターF3にも出場経験アリ)。果たせなかった夢をライコネンに託し、ともに夢を実現させてきた。新たなチャレンジにも怯まず進む。

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Text/Masahiro Owari Photos/XPB Images, Ferrari