【】世界の名コーナー百景 第2回:オールージュ(スパ・フランコルシャン/ベルギー)

10月11日

■ネーミングの由来や数々のバトルを生んだ“次戦”の名コーナーの歴史を紐解く


危険と隣り合わせの“刺激”

スパ・フランコルシャンの代名詞である「オールージュ」の名は、このコーナーの下を流れる小川がその由来となっている。フランス語で「赤い水」を意味しており、その名のとおり川床は地質に含まれる鉄分から赤錆色をしている。
 オールージュはそびえ立つ急な上り坂と思われがちだが、正確には下り切ったところの左コーナーを指し、その先の上り坂は「ラディヨン」。
 ラ・ソースを立ち上がったドライバーはスロットル全開のまま“坂の底”であるオールージュへと飛び込んでいく。すると突然、路面は左に曲がりながら下りから登りへ変わる。マシンが激しくボトミングするのはそのためで、半車身分くらいが“横跳び”になることも少なくはない。それでもドライバーはスロットルを戻しはしない。ラディヨンの急勾配と、その先に続く緩い登りのケメル・ストレートでのスピードに大きく影響するからだ。


 どれだけ時代が変わろうと、オールージュはドライバーの技量と度胸を試し、マシンの性能差を明確にしてきた。数多のドライバーがここで輝きを放ったが、2009年のジャンカルロ・フィジケラの走りは近年ベルギーGPのハイライトと言ってもいい。
 当時のフォースインディアはKERSがなく、条件的に登り坂では絶対不利。それでも最高速重視のVJM02は、KERSを備えたフェラーリのキミ・ライコネン相手に善戦。結局勝負に敗れるも、フィジケラを称える声が尽きることはなかった。
 スペクタクルなコーナーだからこそ危険もつきまとった。85年のスパ1000q――F1での将来が嘱望されたドイツの新鋭シュテファン・ベロフが、他車に押しつぶされるようにウォールにクラッシュし、大炎上。27歳の若さで他界した悲しき歴史を持つコーナーであることも、また事実だ。

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