【】名車列伝:フェラーリ412T1、412T1B(1994年)

2月6日

yマラネロに4年ぶりの勝利をもたらした、一筋の光明

 F1世界選手権がほぼ現在に近い形態で始まったとされる1950年から、全年参戦(全戦ではない)を続ける唯一のチーム、そう、イタリアの誇り、スクーデリア・フェラーリだ。この名門、実はF1マシンのネーミングに一貫性がないことでもよく知られている。
 1991〜93年と3年連続未勝利。F1世界選手権参戦以降、最長最悪の連敗街道を歩んでいたフェラーリは、94年シーズンを戦うマシンを412T1と名付けた。
 F92A系の命名法にわずか2年で終止符を打ち、明らかに70年代後半の栄光を支えた名機、312Tシリーズを想起させる新・命名法を採ったのである。気持ちは分からないでもなかった。70年代にチーム監督として黄金期を築いたルカ・ディ・モンテゼモロが社長としてスクーデリアに帰ってきて約3年。
 そろそろ長期スランプを抜け出したい、まずは名前だけでもいいから良くしよう……。

 70年代の312Tの由来は、もともと3リットル12気筒にちなんで60年代後半から312だったマシン名が、エンジンレイアウトがV型から水平対向(Boxer)へと変わって「312B」系へと移行し、さらにトランスミッションが横置き(Transversale)となって「312T」系へと変わったものだった。
 では、今度の「412T」の根拠は? もちろん4リットル12気筒ではない。これは4バルブ12気筒なのだ(Tは横置きトランスミッションを示す)。別に命名法に使うような目新しい要素ではない4バルブだが、フェラーリは前年まで1気筒あたり5バルブ(吸気3/排気2)のNA3.5リットルV12エンジンを使用していた。
 5バルブは80年代後半からのちょっとしたブームでもあり、日本のヤマハがこれを売りにしていたのをご記憶の向きも多いだろう。フェラーリは94年からコンベンショナルな4バルブを採用することとなったため、それをお題目にして412T1と、往年の名車に類似した命名法を採る理由づけにした。そう考えるのが自然であろう。とにかく、当時のマラネロは神頼みでもしたいくらいの心境だったのだ。

再建に向けて、揃い始めた人材


 なにしろ、2年連続未勝利さえなかったのに、3年連続未勝利である。連敗脱出を義務づけられた412T1は、2年前にダブルアンダートレイという奇異な試みを実現して失敗したF92Aなどと比べれば、革新作というよりはコンサバ路線のマシンだった。
 ハイノーズを採用してはいるが、これもベネトンのそれほど思い切ったものではなく、赤い跳ね馬の鼻はローノーズとのミックス型という程度の上がりぶりで(92〜93年型も然り)、そのあたりからもコンサバな雰囲気が感じられた(なお、94年からアクティブサスなどのハイテク装備は禁止)。
 この時期のフェラーリのテクニカルチームは、ジョン・バーナード第2期。相変わらずイギリスのオフィスをメインの仕事場としていたバーナードだが、80年代後半の第1期に比べればマラネロに姿を現す頻度も増していたと伝えられる。
 またエンジン部門には元ホンダの後藤治氏が加わっていた頃で、チームマネージメントのトップにはプジョーを数多くのカテゴリーで頂点に導いてきた名将ジャン・トッドが93年途中から就任と、次第に人材が揃い始めた時期でもあった。イタリアのみならず、ここに名を挙げただけでもイギリス、フランス、日本から叡智を結集し、国際的な陣容を整えながら、モンテゼモロは再建を進めていたのだ。

ベルガー、またも連敗ストップの快挙

 412T1を駆るドライバーは、チーム4年目の“Mr.27”ジャン・アレジと、マクラーレンから復帰して2年目のゲルハルト・ベルガー。
 シーズン序盤は勝てるような流れではなかった。アイルトン・セナを失いながらも、ウイリアムズ・ルノーが最速マシンを擁する事実に変わりはなく、これと争うのはミハエル・シューマッハーが属すベネトン・フォード。プジョー・エンジン搭載となったマクラーレンが低迷していたため、フェラーリはなんとか3番目のチームというポジションを確立してはいたが。
 シーズン途中で412T1は、いわゆる“B仕様”の412T1Bへと進化。このブラッシュアップはグスタフ・ブルナーの仕事とされる。一部の資料には、エンジンの4バルブ化も実はシーズン途中からであったとするものもある。