【F1ドライバーを支える人々/アルボンのトレーナー P.ハーディング】カヌーの栄光の後、F1へ。選手の精神面も細やかにケア
過酷なシーズンを送りつつ、キャリアを切り開いていかなければならないF1ドライバーたちには、それぞれすぐそばで支える仕事上のパートナーがいる。この連載では、ドライバーの心身をサポートするマネージャー、フィジオ、アドバイザーといった人々に焦点を当てる。今回紹介するのは、アレクサンダー・アルボン(ウイリアムズ)のパーソナルトレーナー兼コーチを務めるパトリック・ハーディングだ。
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ドライバーがF1にたどり着くまでの経緯は、さまざまで非常に興味深い。その好例のひとつがアレクサンダー・アルボンである。現在ウイリアムズに所属するアルボンは、ジュニアカテゴリーで目覚ましい活躍を見せ、2018年のFIA F2選手権ではジョージ・ラッセルやランド・ノリスとタイトルを争った。しかし2012年にレッドブルから外されたことでその時点ではF1チームとのコネクションを持っておらず、フォーミュラEで戦うためニッサンと契約を結んだ。
ところが、かつて契約していたレッドブル陣営が、2019年シーズン直前になって彼に声をかけてきた。トロロッソ(現レーシングブルズ)から急きょオファーを受けたアルボンは、プレシーズンテストの時期に契約書へ署名することになったのだ。

これにより、アルボンは自分を支えるチームを急いで構築する必要に迫られた。そこで推薦されたのが、F1での実務経験はなかったものの、将来有望なドライバーと組むにふさわしい資質をすべて備えていると評価された、あるパーソナルトレーナー兼コーチであった。
その人物は、赤いひげがトレードマークのパフォーマンスコーチ、パトリック・ハーディングだ。彼はアルボンのF1キャリアの最初から現在に至るまで、常に寄り添ってきた存在だ。彼は、幼少期からスポーツに強い情熱を注いでいたが、自身がプロアスリートとして成功することはないと悟り、次善の道として、アスリートを支える側に回ることを選んだ。

ボクシング一家に育ったハーディングは、北アイルランドのベルファストにあるジョーダンズタウンで応用生理学の学位を取得。その後、ラグビーやオーストラリアン・フットボールなど、さまざまな競技で理学療法士として経験を積んだ。さらに2012年ロンドンオリンピックでは英国代表チームGBに関わり、2016年リオデジャネイロオリンピックではカヌーチームの主任フィジオを務めた。
英国カヌー史上最高の成果を挙げたオリンピックを終えた後、ハーディングは変化の必要性を感じ、アーセナル・フットボールクラブに加わった。これは、子どもの頃からサッカーを愛していた彼にとって、キャリア唯一の「ノスタルジックな選択」だったという。
その後、アイルランド人ボクサーのマイケル・コンラン、そして同じくアイルランド人ゴルファーのポール・ダンから個別に声がかかり、彼らとマンツーマンで仕事をするようになる。チームスポーツで負傷者のケアに追われる立場から、一人のアスリートのパフォーマンス向上に専念できる環境への変化を、ハーディングは大いに楽しんだ。
やがて、伝説的な企業ヒンツァ・パフォーマンス社に推薦されたことをきっかけに、同社から予期せぬTwitter(現在のX)のダイレクトメッセージが届く。いくつかの面接を経たものの、そこでは具体的な職務内容は一切語られず、最終的にハーディングは、レーシングドライバーと仕事をするのに適していると告げられた。
モータースポーツに関する知識や理解はほとんどなかったものの、ハーディングは一対一のアスリート育成を本業にできる可能性に胸を躍らせた。コンランやダンとの仕事を続けるハーディングを、ヒンツァは当時F2ドライバーだった牧野任祐と組ませた。
モンツァでのフィーチャーレース優勝を含む印象的な成果を挙げた後、牧野は日本でのレース活動に戻ることになり、ハーディングはモータースポーツ界での新たなパートナーを探す必要に迫られた。そんななかでハーディングは、トロロッソのシートを得たアルボンと話をする機会を得た。
互いのアプローチや考え方の相性を確認するミーティングの後、ハーディングはトライアルとしてアルボンとともにジムセッションと2カ月間のプランを実施。その結果、ふたりはそのパートナーシップを続けていきたいという意思を固めた。それから7年が経った今も、その関係は揺るぎなく続いている。
ハーディングは自身の役割を、アルボンが毎レースウイークエンドに最高のパフォーマンスを発揮できる身体状態で臨めるようにすることだと捉えている。具体的には、トレーニング、移動と時差対策、栄養管理、睡眠の調整を担う。それに加え、F1という舞台で潜在能力を最大限に引き出すためのサポートにも注力しており、その作業の約9割はメンタルおよび感情面に関わるものだという。
その中心となるのが、アルボン自身がどのような人間であるかを理解し、それがトップレベルのドライバーとしてのパフォーマンスにどう影響するのか、そしてこの競技に伴うあらゆる課題をいかに管理するかを理解することだ。内向的な性格のアルボンは、メディア対応やスポンサー活動といった業務をこなすだけでも多くの感情的エネルギーを消費するため、ハーディングはその影響を最小限に抑え、仕事の各側面を切り分けるための戦略を構築している。
エンジニアリングの時間は、レース週末に向けたアルボンの自信形成において極めて重要であるため、特に厳重に守られている。また、ドライバーである個人ではなく、ドライバーという役割を持つ一人の個人としてアルボンを捉える視点も同様に大切にされている。この認識が、人間としての自分と職業としての行為を切り分け、彼の全体的なバランスとメンタリティの安定につながるのだ。

ドライバーとの仕事に加え、ハーディングは現在、コーチングの観点からウイリアムズ・アカデミーに関与しており、同時に学業も続けている。修士号を2つ取得した後、ダブリン大学でエリート・スポーツ育成をテーマに博士課程に取り組み、モータースポーツが若手ドライバーの成長にとって適切な環境を提供しているかを研究している。
現在の仕事に集中することを重視するハーディングは、今の満足感と自然な成長を優先しており、将来、NFLまたはNCAAでアメリカンフットボールの世界に携わりたいという願望はあるものの、それ以外の明確な目標は持っていない。そのため、その機会が訪れるまで、ハーディングはドライバーたちがそれぞれ最高の状態になる手助けを続けていくつもりだという。