30年以上にわたってF1を走り続けたルノー製エンジンがグランプリに別れ。アルピーヌはメルセデスのカスタマーに
2025年F1第24戦アブダビGP後の火曜日に行われたタイヤテストは、ルノーの競技部門がビリー-シャティヨンにあるファクトリーで設計、製造、開発したF1パワーユニット(PU)の終焉を告げる日となった。アルピーヌは現在、アウディとアストンマーティンに、2024年型マシン『A524』とそのパワーユニットを使用する2026年のTPC走行日を販売する交渉を行っているので、プライベートテストではルノー製エンジンの音が今後も聞かれることになるだろうが、グランプリレースへの公式参加に関しては、2025年で終わりとなる。アルピーヌは、2026年からメルセデス製のPUを使用することがすでに決まっている。

パリ・オルリー空港から目と鼻の先にある、この歴史あるファクトリーのF1部門の閉鎖は、1970年代初めに始まった驚くべき成功物語の終焉を告げるものだ。マトラがモーターレースから撤退したことで、ルノーは石油大手のエルフと緊密に協力し、世界の舞台でフランスに存在感を持たせ、できるだけ多くのフランス人ドライバーがF1に参戦できるよう支援する取り組みを強化した。
最初の目標はル・マン24時間レースでの優勝で、1978年に3度目の挑戦で、F1ドライバーのディディエ・ピローニとベテランのジャン・ピエール・ジョソーがライバルを破って達成した。その頃にはフランスのメーカーはすでにグランプリレースに参戦しており、ジャン-ピエール・ジャブイーユが1977年のイギリスGPにRS01で参戦し、チームの歴史をスタートさせた。ルノーは安易なやり方を取らず、ターボ技術をF1に導入し、ミシュランをタイヤパートナーに迎えた。
その後の38年間、1987年と1988年は欠場したものの、ルノーはF1に参戦し続けた。またルノーの名前ではないが、エンジンは1998年から2000年(スーパーテックが商用権を持っていた時期)と、2016年から2018年にレッドブルがタグ・ホイヤーの名前を使用したときにもレースに出場し続けており、ビリー-シャティヨンで製造されたエンジンがレースに登場していた。

これでルノーはF1からの撤退へ向かうが、F1ドライバーズタイトルを2度獲得し(2005年と2006年にフェルナンド・アロンソが達成)、コンストラクターズタイトルは自社名で2度獲得、さらにウイリアムズ、レッドブルへのエンジンサプライヤーとして9度獲得したことを誇っている。771回のグランプリでは、合計67万637kmを走行した。ルノーは、11チームを下らない異なるチームにパワーを供給し、88人のドライバーがドライブした。F1での長いキャリアのなかで、このフランスのグループのパワーユニットは、合計465回の表彰台を獲得した。
また、169回の優勝、213回のポールポジション獲得、177回の最速ラップ記録も含まれる。そしてルノーに所属するドライバーたちも、このエンジンによる1万1196周、合計5万4429kmの走行集計に貢献した。こうした結果のなかで、合計すると8281.5ポイントを獲得しており、この数字はフランスのメーカーがグランプリレースで40年近くにわたって達成してきた偉業の大きさを示している。

