
【】グランプリのうわさ話:映画『F1/エフワン』が海外で驚異の興行成績
7月3日
事件はサーキットの外でも起きている。もちろん、サーキットの中で起きているのは言うまでもない。水面下で蠢くチーム、ドライバー、グランプリにまつわる未確認情報を調査員が独自に調査。送られてきた報告書を公開する。
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ヨーロッパと北米各地の映画館で公開された『F1/エフワン』の最初の週末の興行成績は驚異的で、この映画がモータースポーツを題材にした映画としては史上最も収益の高いものになるだろうと指摘されている。映画製作者は、公開後最初の3日間でチケットの売上が1億4400万ドル(約206億8100万円)に達し、北米市場だけで5560万ドル(約79億8500万円)の総興行収入を記録したと発表した。
たとえばイギリスでは920万ドル(約13億2100万円)相当のチケットが販売され、中国(900万ドル、約12億9300万円)、メキシコ(700万ドル、約10億600万円)、中東(560万ドル、8億500万円)、フランス(540万ドル、約7億7600万円)でも非常に目覚ましい数字が記録された。参考までに、アップルはこの数字が予想を上回り、(ブラッド・)ピットの主演映画としては最高のオープニングの週末を迎えたことを発表した。
これらの数字は、映画の制作とマーケティングにかかった約3億5000万ドル(約502億8300万円)とみられる高額の費用がわずか2週間で回収され、プロデューサーに大きな利益がもたらされることを示している。比較すると、1976年のF1タイトルをかけたニキ・ラウダとジェームス・ハントの戦いを描いたロン・ハワード監督の『ラッシュ/プライドと友情』は、製作費3800万ドル(約54億6000万円)で9820万ドル(約141億1000万円)の収益を上げており、製作費9760万ドル(約140億2700万円)と報じられたより最近の『フォードvsフェラーリ』は、世界中で2億2500万ドル(約323億3800万円)強の収益を上げている。
■ブリアトーレ、ニールセンへのオファーを諦めず

アルピーヌのエグゼクティブアドバイザーを務めるフラビオ・ブリアトーレは、元ルノーのスポーティングディレクターのスティーブ・ニールセンを、エンストンに呼び戻すことを諦めていない。ニールセンは過去6週間にわたって、ブリアトーレからのオファーをすべて断ったにもかかわらずだ。
オリバー・オークスが、自身の弟と、彼が所有しふたたび運営しているハイテック・チームを含む法的問題によってチームを辞めざるを得なくなって以来、ブリアトーレはニールセンがアルピーヌF1チームの日常の運営を引き継ぐのに適任だと考えていたが、このベテランにフルタイムの役割を引き受けるよう説得することはできなかった。
ニールセンはオーストリアで、「今も話し合いは続いているし、うまくいっているが、私はまだ何も合意していない」と認めた。エンストンの組織構造を熟知しているニールセンは、チームをふたたびタイトル獲得の軌道に乗せるには、少なくとも丸5年かかることを認識するだろう。水曜日に61歳になるニールセンには、これほど長期にわたる任務を引き受ける気はないのかもしれない。
また彼は、数年前から家族とフランスのコートダジュールのカンヌに住んでいる。イギリスへの移住はふたりの幼い子どもたちにとって環境が完全に変わることを意味するため、ずっと気が進まなかったようだ。
ニールセンは、F1のコンサルティングを務めている現在の日々が変わらないのであれば、アルピーヌでコンサルタントの役割くらいなら受け入れるかもしれない。しかし、それではブリアトーレの抱える問題は解決しないだろう。ブリアトーレは日常業務とレースでチームを運営する誰かを必要としているのだ。
■エクレストンの表彰台

オーストリアGPの最後に行われた表彰式に、元F1の最高権威者であるバーニー・エクレストンがサプライズゲストとして登場し、レッドブルリンクでのレースを観戦できなかったFIA会長モハメド・ビン・スライエムの代理を務めた。エクレストンの妻のファビアナは、FIA南米地域の副会長のひとりだ。ビン・スライエムの選出以来、エクレストンのF1パドックへの入場は、彼が40年以上経営してきた会社ではなく、連盟のVIPゲストとして行われるようになった……。
エクレストンは、次のようにコメントした。「会長が優勝者に個人的に祝福の言葉をかけるのは本当に素晴らしいことだ。彼はここオーストリアでのF1レースを観戦できなかったので、私に代わりにメダルを贈呈するよう頼んできた。私はそうすることをうれしく、光栄に思う」そして、驚きの事実を明かした。「奇妙に思われるかもしれないが、このスポーツに携わって70年近くになるのに、表彰台に立ったのはこれが初めてのことだ! だから、それも素晴らしいことだった」
このビジネスマンは、自身のチームであるブラバムがレース優勝やタイトルを獲得したときでさえ、レース後の祝賀会にはまったく興味を持たなかった。有名な話だが、ネルソン・ピケがブラバムのドライバーとして2度目のタイトルを獲得した1983年の南アフリカGPでは、レース終了前に会場を後にし、キャラミを発つ際にプロモーターの手数料を受け取り、ヨハネスブルグ空港に直行してロンドン行きの飛行機に乗ったのだ!
(autosport web)