2025.04.02

ミナルディの契約は「EJのおかげ」とウエーバー。「どん底から救ってくれた」恩人を偲ぶ


2002年にF1にデビューしたマーク・ウエーバー(ミナルディ)。母国オーストラリアの開幕戦では初陣で5位入賞を果たした
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 エディ・ジョーダン(EJ)の死は、F1界の仲間たちによって今も悼まれている。このアイルランド人の流儀には誰もが無関心ではいられず、ジョーダンにまつわる物語は今も多く語られている。

 ジョーダンがデイビッド・クルサードと共同司会を務めていた、大人気のポッドキャスト『Formula For Success』で、ジョーダンの代わりを務めた元グランプリウイナーのマーク・ウエーバーは、故人がいかにして彼がモータースポーツ界に留まるのを助け、ミナルディでの最初のF1シートを見つけるために力を尽くしてくれたかということについて、知られざる話を明かした。

 ジョーダンの死後、クルサードにとってウエーバーは最初のゲストだった。ふたりがこの偉大な人物との思い出を振り返るなか、ウエーバーは次のように語った。

「EJは、私がどん底にいた時に、実際にキャリアを救ってくれた」

 ウエーバーは、1995年の終わりに母国であるオーストラリアからイギリスに拠点を移した。彼は自国の『イエローページ』のスポンサーシップを得てヨーロッパに渡り、フォーミュラ・フォードに参戦したのだ。このスポンサーシップは、後にウエーバーの生涯のパートナーとなる経験豊富なアン・ニールの協力で確保されたものだったが、ふたりが力を合わせて懸命に努力しても、1997年末にF3からF3000に昇格するための予算を見つけることはできなかった。

 メルセデスは、GTとル・マンのプログラムのシートを提供することでこの若いオーストラリア人のキャリアを救ったが、ウエーバーは1999年のル・マン24時間耐久レースのプラクティス中に、マシンが突如宙に舞うという恐ろしい事故に見舞われた。ウエーバーのメルセデスでの時間は突然終わりを迎え、何も残されなかったと回想している。

2度の宙を舞うクラッシュを起こし、決勝は未出走だった4号車のメルセデス・ベンツCLR。マーク・ウェーバー、ジャン-マルク・グーノン、マルセル・ティーマンがドライブしていた。
2度の宙を舞うクラッシュを起こし、決勝は未出走だった4号車のメルセデス・ベンツCLR。マーク・ウェーバー、ジャン-マルク・グーノン、マルセル・ティーマンがドライブしていた。

「私には何もなかった。ドライブするクルマも、契約も、スポンサーも、何もなかった」とウエーバーは述べた。

「だから必死になってEJと連絡を取ろうとしていた。私はファクトリーの近くに住んでいたので、何か自分にさせてもらえることがないか彼に尋ねるために会いたかった。たとえそれが、彼のF1マシンでストレートのテストを数回するだけであろうともね」

「当時は多くのテストが行われていた。どのチームにも2、3人のテストドライバーがいて、ヨーロッパ中を回ってテストしていた。だから、サンタポッドや他の飛行場で、ストレートのテストをするのに人が足りないこともあった」

エディ・ジョーダン
『ジョーダン・グランプリ』創設者のエディ・ジョーダン

 しかし、ジョーダンのパーソナルアシスタントは助けにならなかった。

「きっと彼女はみんなから、EJの時間を押さえてくれというリクエストを受けていたはずだから、彼を捕まえる唯一の方法は、彼がファクトリーから出てくるのを待って、彼が止まるまで自分のクルマで追いかけることしかないと、心に決めたんだ!」とウエーバー。

「計画はうまくいった。なぜなら、最終的にEJがミラーで私を見つけ、私たちは立ち止まって話をしたからだ」

「私は彼に自分の状況と、何を必要としているか説明することができた。彼には私のためのシートはなかったが、EJを通じてポール・ストッダート(ミナルディの元オーナー)と連絡を取ることができた。私のF3000シーズンの費用を払ってくれた人だ」

「その翌年に、私はミナルディと最初のF1契約を結んだ。EJがいなければ何も起こらなかっただろう。僕のキャリアが続いていったのは彼のおかげだ」とウエーバーは締めくくった。

ミナルディの契約は「EJのおかげ」とウエーバー。「どん底から救ってくれた」恩人を偲ぶ
マーク・ウエーバー。2002年からミナルディ、ジャガー、ウイリアムズ、レッドブルと渡り歩き通算9勝を挙げた


(Text:GrandPrix.com / Translation:AKARAG)

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