2025.10.31

元F1王者ジェンソン・バトンの引退レース近づく。「以前からバーレーンが好き。できる限り楽しむつもり」


2025年シーズンを最後にフルシーズンドライバーからの引退を明らかにしているジェンソン・バトン 2025年WEC第7戦富士
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 今シーズンは『キャデラックVシリーズ.R』のステアリングを握っているジェンソン・バトンは、WEC世界耐久選手権の2025年シーズン終了をもってフルシーズンドライバーから引退する予定だ。2009年のF1で世界王者となった45歳のイギリス人は『BBC』の地域ラジオ放送で、11月8日に行われるバーレーン8時間レースが、自身にとってレギュラードライバーとして出場する最後のレースとなることを明言した。

「バーレーンが僕の最後のレースになる。僕は前からバーレーンが好きだったし、楽しいコースだと思う。これがプロとしてのレーシングキャリアの終わりになるので、できる限り楽しむつもりだ」と彼は語った。

 バトンはF1引退後のスポーツカーでのセカンドキャリアを振り返り、「WECでハーツ・チーム・JOTAと過ごした時間は本当に楽しかった。しかし生活があまりにも忙しくなった。チームにとっても自分自身にとっても、2026年シーズンを迎えて充分な時間が持てると考えるのは妥当ではない」と述べた。さらに、この決断には非常に個人的な理由があるとつけ加え、次のように説明した。

「僕の子どもたちは4歳と6歳で、1週間も離れるとたくさんのことを逃してしまう。この時間は二度と戻ってこない。過去数年間、多くのことを逃してきたように感じている。そうなることはわかっていたのでそれはいいのだが、もう1シーズン、同じことを繰り返すつもりはない」

 しかし、元世界チャンピオンのバトンがモータースポーツとの関わりを止めることがないのは明らかだ。ブランドアンバサダーとしてウイリアムズF1チームと関わり続けるだろうし、この数年間務めてきた『Sky Sports』のグランプリ専門解説者としても、バトンは引き続き活動するものと思われる。

元F1王者ジェンソン・バトンの引退レース近づく。「以前からバーレーンのコースが好き。できる限り楽しむつもり」
ジェンソン・バトンが2025年のWECハイパークラスでドライブしている38号車キャデラックVシリーズ.R(キャデラック・ハーツ・チーム・JOTA) WEC第7戦富士

■F1デビューは四半世紀前の2000年

 現在45歳のバトンは、F1で長きにわたる成功したキャリアを持ち、モータースポーツの最高峰において17シーズン連続でグランプリを戦った。このイギリス人ドライバーは当時のF3で印象的なスピードを見せた後、2000年にウイリアムズから予想外のオファーを受けて、アレックス・ザナルディの後任としてF1デビューを果たすと、2度目のグランプリ出場でポイントを獲得してフランク卿の賭けに応えた。

 ファン・パブロ・モントーヤが翌年の契約をすでに結んでいたため、バトンはルノーに移籍し、そこで2シーズンを過ごして、2002年の世界選手権を7位で終えた。しかしバトンは、フラビオ・ブリアトーレとあまりうまくいかなかった。その年の終わりにフェルナンド・アロンソと交代させられたバトンは、BARホンダに加入する。

 それが、彼がその後6年間活躍することになるチームとなった。すぐに元チームリーダーのジャック・ビルヌーブを追い抜き、その後チームメイトとなった佐藤琢磨とルーベンス・バリチェロのふたりに対しても優位に立った。2004年、バトンは圧倒的な強さを誇っていたフェラーリF1チームに対する唯一の真のライバルとなり、18レース中10レースで表彰台に上がり、選手権を3位で終えた。しかしながら、バトンが初めてF1で優勝したのは2006年のハンガリーGPでのことだった。当時すでにホンダがチームを引き継いでいたが、2008年末に同社が突然撤退したため、バトンの将来は不透明になった。

 バトンは、チームを存続させようとしていたロス・ブラウンと協力し、このパートナーシップは2009年の世界選手権の有名なシーズンへとつながった。家でじっとしている羽目になるところだったバトンは、ブラウンGPとともにシーズン序盤に6勝を挙げたが、レッドブルがより速いチームとして台頭したことで、残りのシーズンは保守的に走らざるを得なくなり、セバスチャン・ベッテルと直接戦うよりも確実なポイント獲得を目指した。その結果、彼はブラジルでワールドチャンピオンに輝いたのだ。

 なおバトンは、ブラウンGPがメルセデスに売却されようとしていることを知っていた。当時メルセデスは、マクラーレンにおけるロン・デニス率いる経営陣に大きな不満を抱いていた。

 バトンは長年在籍したチームを離れ、マクラーレンに加入して7シーズンを過ごし、ルイス・ハミルトン、セルジオ・ペレス、ケビン・マグヌッセン、フェルナンド・アロンソとチームを組んだ。この期間、彼はさらに7回のグランプリで優勝を果たし、2011年の選手権ではベッテル(レッドブル)に次ぐ2位となった。バトンは2016年末にF1を引退した後も、インディ500への参戦を選んだアロンソの代役として翌年のモナコGPに出場したが、これが彼にとって最後のグランプリ出場となっている。

 その後、バトンは異例のステップを踏んだ。日本のスーパーGTに参戦し、2018年に山本尚貴とともにシリーズチャンピオンを獲得したのだ。彼はその後スポーツカーレースに移り、そこでドライバーとしてのキャリアを終えようとしている。

2位表彰台を獲得した38号車キャデラックのドライバーたち。左からアール・バンバー、セバスチャン・ブルデー、ジェンソン・バトン 2025年WEC第5戦サンパウロ
2018スーパーGT第8戦もてぎ 決勝
スーパーGT2018年GT500クラスチャンピオンを獲得したRAYBRIG NSX-GTの山本尚貴とジェンソン・バトンと高橋国光総監督
2009年 ブラウンGPのジェンソン・バトンがチャンピオンに


(Text:GrandPrix.com / Translation:AKARAG)

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