王者や権力者ともアポなしで話す、取材数700戦超えのドイツ人レジェンド記者が勇退【ギョロ目でチェック/第10回】
ひとりのレジェンド記者が、今シーズン限りでF1の現場取材の第一線から退くことを決意した。ドイツ人ジャーナリストのミハエル・シュミットだ。
1959年生まれのシュミットが初めてF1を生観戦したのは、1977年のドイツGP。前年にニキ・ラウダが瀕死の大ケガを負う大クラッシュを起こしたため、この年からホッケンハイムリンクでドイツGPが開催されるようになっていた。
最初の取材は1981年のドイツGP。大学生だったシュミットは、新聞社のフリーランス記者としてからF1の取材を開始した。大学卒業後もF1の取材を継続したシュミットは、1987年からドイツのモータープレス・シュトゥットガルト社に入社。同社から刊行している『auto motor und sport』および『sport auto』の記者として、ほぼすべてのレースで現場に赴き、取材していく。
現在のように記者会見やミックスゾーンでの取材が確立されていなかった1980年や90年代は、パドックでの立ち話やチーム関係者からの情報提供が重要となる。豊富な経験と人脈の広さに長けていたシュミットの取材力はこの世界では群を抜き、歴代の王者はもちろん、バーニー・エクレストンら時の権力者ともアポなしで雑談することができた。

そのシュミットも年金生活に入り、後進に道を譲ることを決断した。
「いい引き際だと思う。まだ若いうちに第二の人生をスタートさせたい。ただ、F1が嫌いになったわけではないから、もう一度、フリーランスに戻って、年に数回、サーキットを訪れ、取材活動を続けたい」
そんなシュミットにとって、ベストレースは1986年のハンガリーGP。
「なぜなら、共産主義体制下にあった東欧諸国での唯一のF1グランプリだったからだ。日曜日には20万人以上の観客がサーキットに集まったんだ。1日で、だよ。あの日のサーキットの光景は忘れることができないし、それ以後、見たことがないね」
では、ベストドライバーは?
「アイルトン・セナ。テクニックもカリスマ性もすべてがナンバーワンだ」
そのシュミットは今シーズン残りのレースをすべて取材し、最終戦アブダビGPで750戦目の取材を終えた後、F1取材を第一に考えいた生活にピリオドを打ち、新しい人生をスタートさせる。
