2012.12.18

【今宮純のアフターザレース】
[2012年5大ニュース]第1弾“残念バージョン”


 年末に「漢検」が発表する今年をイメージした漢字一字は“金”に決まった。昨年の“絆”は内外で話題になり、F1界でもベッテルがヘルメットに描いたりしていたのはご存じのとおり。さてこのコラムもシーズン総括として2回にわたり2012年5大ニュースをセレクト、初回は『ザンネン・バージョン』というかバッドニュースを。


【1】グロージャン“通り魔事件”多発
(c)Sutton
 2012年F1を象徴する漢字一字にはグロージャンの“黒”を選ぼう。とにかく目立った。ロータスのレギュラーシートを得て、初戦オーストラリアGPで堂々の予選3位、帰ってきたライコネンを打ち負かすも決勝は接触事故で1周リタイア。これは後の“連続事件”の予告だった。 
 第2戦マレーシアGPではスピンしてシューマッハーと絡み3周リタイア。予選でライコネンより上位につけながら、スタート直後の集団戦で彼は自己主張が強すぎた。母国フランスの関係者は言った。「少年カート時代から速いがレースになると周りが見えなくなる」、それはグランプリのレギュラーになっても変わらなかった。
 決定的シーンは何と言ってもベルギーGP、ハミルトン、アロンソ、小林らを巻き添えにしたあの大事故は危うい場面だった。あれでアロンソがタイトルを逸したとも、フロントロー可夢偉が表彰台を逃がしたとも言わずにおこう。
 度重なる事例から言えることは、“人身事故リスク”が高い加速時の接触が多く、コーナー入り口での減速時のレーシングアクシデントとは異なる。問題はここだ。「周りが見えない」とかの次元ではなく、アクセルを踏むと別人のように自己主張が強くなる。普段、空港で会った時などは好青年、チェックインで行列をちゃんと守る。そんな姿を見ているだけに1コーナーに突進する時の“行列無視行為”はまったく別人のよう。単独走では才能があるだけに12年ザンネン大賞のグロージャン……。

【2】シューマッハー幻の69回目PP
(c)LAT
 ファンならずともモナコGP予選でトップタイムを叩き出しながら、前戦からのペナルティで“5グリッドダウン”は誠に残念。69回目PPにつけず、ウェーバーが繰り上がりそのまま勝った。
 シューマッハーはこのレースを燃圧トラブルでリタイア、開幕7戦で4度もトラブルが頻発したのは長いレース人生で初めての事態。ロズベルグに先行する予選結果が多く、序盤の彼は復帰後最も「乗れている状態」にあった。
 幻のPPとなったラップではセクター2が最速、さすがと思わせたのは狭くてバンピーなこの区間で理想ラインを描き、特に超低速ヘアピンが巧かった。意外にもここでのロスは大きいのだが、往年の“人間4WS的”なシューマッハーのコントロールを彷彿させた。嗚呼、ザンネン幻のPP……。

【3】最速はマク?、中間スランプで脱落
(c)LAT
 7勝、8PP、16フロントロー、マクラーレンは“最速”を誇る記録を残している。レッドブルと勝利数もPP獲得数も同じ、フロントローは2度多い。それでいてタイトル争いから脱落した最大原因は非信頼性、さらに挙げれば戦略上の誤りやピットワーク(最短記録もあればトラブルも)、それと中盤の“スランプ現象”だ。
 彼らは相次ぐアップデートを行い、その投入ぶりはナンバーワンだと思える。が、実際その効果があったかどうか。毎グランプリごとに仕様が変わり、その都度ファインチューニングに取り掛からねばならなかった。
 興味深いのは金曜FP1でマクラーレンは20戦中過半数の11セッションでトップ、走り出しは速かった。そのペースセッターはハミルトン(8セッション最速)だが、そこから伸び率がはかばかしくないケースが多々あった。終盤ハミルトンとバトン2連勝で閉幕、始まりも終わりも制したのはマクラーレン。それなのにランク3位、99年以降“無冠の帝王”のままザンネンなシーズンに……。

【4】ケータハムVSマルシャ“10位攻防”
(c)LAT
 推定10億円がかかっているランク10位攻防でマルシャは最後までケータハムと争ったが、ブラジルGPでペトロフがピックを1.6秒差で下し11位ゴール。どちらも未入賞なのでデッドヒート規定により、最上位回数比較で11位1回のケータハムが12位2回のマルシャを倒した。これを深読みすると、ピックはブラジルGP初日にケータハム来季移籍が決定、自分が来年走るチームを抜かずに12位となって、その“分配金”をもたらす結果に相成った。
 茫然とするマルシャと喝采のケータハム、インテルラゴスではフェラーリとレッドブル同様に最終決戦で明暗が分かれた。ザンネンなりロシア軍、マレーシアに敗れる……。

【5】涙と笑顔の別れ、ザウバーと小林
(c)LAT
 いっこうにやまない霧雨に濡れたインテルラゴスのパドック、夕方6時前に小林は駐車場へと帰っていった。帰国フライトに急ぐ彼を見送り、「思いきりレースができたよね」と言うと笑顔を浮かべた。思い起こせば2009年トヨタでデビューしたここで9位、彼自身の60戦目、ザウバー58戦目ラストランも9位。未練はないという態度で立ち去る彼は新たな野望を抱き、遠い旅路に向かって行った。
 ザンネンではあるが60戦27入賞のほぼ50%アベレージは実力主義の証明、時代が時代ならトップチームのセカンドは確実だ……。

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