2025.10.17

フェルスタッペン「教わった知識は言葉にできないほど貴重」“110%”の情熱で支援を続けた父との思い出/F1第19戦木曜会見


2025年F1第19戦アメリカGP FIA会見 マックス・フェルスタッペン(レッドブル)
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 2025年F1第19戦アメリカGPのFIA会見では、前戦シンガポールGPの決勝レース終盤、ルイス・ハミルトン(フェラーリ)がブレーキトラブルを抱えながら走行を続けたことについて質問が出た。

Q:フェルナンド、ハミルトンのすぐ後ろを走っていたあなたは、「信じられない!」と無線で叫んでいましたね。ブレーキがほぼ効かない状態で3周走ったドライバーに対して、5秒ペナルティは十分だったのでしょうか? FIAはもっと厳しい姿勢を取るべきだと思いますか?

フェルナンド・アロンソ:「いや、僕はあのペナルティで満足だったよ。ポジションを取り戻せたから、1秒で十分だった。あと4秒は余分だったね」

オリバー・ベアマン:「僕は逆にもう数秒もらえれば抜けたかも」

フランコ・コラピント:「僕は数秒どころじゃ足りなかったね(笑)」

フェルナンド・アロンソ(アストンマーティン)、フランコ・コラピント(アルピーヌ)、オリバー・ベアマン(ハース)
2025年F1第19戦アメリカGP FIA会見 左からフェルナンド・アロンソ(アストンマーティン)、フランコ・コラピント(アルピーヌ)、オリバー・ベアマン(ハース)

 では当のハミルトンは、この件をどう見ているのだろう。

Q:あのトラブルで、ペナルティは避けられないと覚悟していましたか?

ハミルトン:「かなりヒヤヒヤしていたよ。これまでタイヤ3本で完走したことはあったけど、3つのブレーキでの完走は初めてだったからね。もう2度と経験したくない。止まることはできたけど、ペダルが床まで抜ける感じで、とうてい曲がれなかった。だからエスケープロードに行くしかなかったんだ。FIAの(5秒)ペナルティは妥当だと思う」

Q:シンガポールGP後、SNSでビクター・メルドリューの「信じられ〜ん!」という動画を上げていましたね。アロンソとあれについて話しましたか?

ハミルトン:「『信じられ〜ん!』(笑)いや、フェルナンドとはまだ会ってない。あれは単なるジョークだよ。あの番組を20年以上ぶりに思い出して、面白かったから投稿しただけだ。人生、少しくらい楽しみがないとね」

 ビクター・メルドリューというのは1990年代の英BBCの人気ドラマ『One Foot In The Grave』の主人公で、“Unbe-lieeeve-able!(信じられ〜ん!)”が決まり文句だった。少年時代のハミルトンはおそらくこの番組のファンで、アロンソがシンガポールで発した「信じられない!」を、からかいたかったのだろう。

ガブリエル・ボルトレート(キック・ザウバー)、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)、ルイス・ハミルトン(フェラーリ)
2025年F1第19戦アメリカGP 左からガブリエル・ボルトレート(キック・ザウバー)、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)、ルイス・ハミルトン(フェラーリ)

 当のアロンソは、レース中の無線のやり取りが流されることに対しては、非常に批判的だった。

Q:今はSNSの時代で、無線でのコメントが瞬時に世界中に流れます。そういう状況をどう感じていますか?

アロンソ:「多くが不要だし、編集のされ方もよくないね。誤った切り取り方で、99.9%誤解されてる。僕らとチームの会話は、基本的にプライベートなものだ。中継で無線が主役になってしまうときは、むしろレース内容が退屈だったという証拠でもある。本当に改善すべき点だと思う」

 第2部に出席したハミルトン、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)、ガブリエル・ボルトレート(キック・ザウバー)の3人は、いずれも幼い頃から父親のサポートを受けてきたドライバーだ。

Q:F1にたどり着くまでのなかで、お父さんとの一番の思い出は?

ボルトレート:「僕の場合はFIA F3とFIA F2のタイトルだ。父は仕事が忙しくて、全部のレースに来られたわけじゃないけど、タイトル争いのときは必ず来てくれて、最初に抱き合ったのも父だった。本当に特別な瞬間だった」

フェルスタッペン:「ヨスの一番凄いところは、彼自身がドライバーだったことだ。もう少し運があれば、F1でももっといいキャリアを築けたと思う。でも何より凄いのは、彼の知識だよ。レースのこと、セッティングのこと、メカニズムのこと。それらを小さい頃から叩き込まれたのは、言葉にできないほど貴重だった。僕が今の僕でいられるのは、そのおかげだ。速く走ることだけじゃなく、マシンそのものを理解する力もくれた。父がどれだけ時間と情熱を僕に注いでくれたか。110%という言葉がぴったりだ。あんなに息子のために全力を尽くす人を他には知らない」

ハミルトン:「僕の一番の思い出は、5歳のときに父と一緒にF1を見ていたこと。それから彼が僕のレース費用捻出のためにいくつか副業をして、なかでも不動産仲介で『売家』の看板をあちこちに立てていたのを、一緒に手伝ったことだね。そして夜になると、仕事を終えた父が僕のカートを整備してくれた。その頃は、レーススタート前に父と握手するのがルーティンだった。握手をして、父がピットにいてくれる。それだけで安心できた。F1で初優勝したとき、表彰台の下で父の姿を見た瞬間、すべての努力と犠牲、家族の血と汗と涙が報われた気がした。あれが僕にとってのハイライトだったよ」

 彼らの他にも、たとえば角田裕毅(レッドブル)、ピエール・ガスリー(アルピーヌ)、シャルル・ルクレール(フェラーリ)、カルロス・サインツ(ウイリアムズ)などなど、父の献身なしにはF1に来れなかったであろうドライバーは数多い。彼らも同じように、父との忘れられない思い出を胸に秘めているのだろう。

ガブリエル・ボルトレート(キック・ザウバー)&マックス・フェルスタッペン(レッドブル)
2025年F1第19戦アメリカGP FIA会見 ガブリエル・ボルトレート(キック・ザウバー)&マックス・フェルスタッペン(レッドブル)


(Text : Kunio Shibata)

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