ブラバムやマクラーレンでF1チャンピオンマシンを手がけたゴードン・マレー、食道がんの治療を受けたことを明かす
20年以上にわたり、F1で最も偉大な先見の明を持つデザイナーのひとりであるゴードン・マレーは、イギリス紙『The Telegraph』とのインタビューで、昨年の今頃にがんの治療を受けており、現在も医師らから厳重な経過観察を受けていることを明らかにした。
南アフリカ出身のマレーは、1970年の初めにロン・トーラナックに雇われ、ブラバムのすべてのシャシーの設計を手伝っていた。当時、チームはF1とF2に出場していたが、収入を得るためにF3のマシンも製造して顧客に販売していた。しかし、ベテランのオーストラリア人エンジニアだったトーラナックがチームの新オーナーであるバーニー・エクレストンと対立してチームを去ったため、すぐにマレーがチーフデザイナーの役割を担うことになった。
1978年のスウェーデンGPでブラバムの“ファンカー”が他を圧倒した舞台裏には、マレーの独創的な頭脳があった。その後、このマシンはチーム間の分裂を避けるために取り下げられたが、彼は1982年にF1に再給油を復活させ、それによりすべての戦略が変わった。1981年と1983年に彼が生み出したマシンは、ネルソン・ピケの最初のふたつのタイトル獲得に貢献した。その後、エクレストンがチームへの興味を失うと、マレーはマクラーレンに移籍した。
あらゆるものを征服したMP4/4の設計開発におけるマレーの役割は、彼とスティーブ・ニコルズの間に大きな確執を生み出し、法廷で論争が続いているが、マレーがマクラーレンの最初の市販車である有名なマクラーレンF1の頭脳であったことは間違いない。過去25年間にマレーは数多くのユニークなロードカーやコンセプトレーシングカーを製作してきたが、この温厚なエンジニアがここ数年間ずっと沈黙していた理由が今明らかになった。
インタビューのなかでマレーは、次のように明かした。
「15年間、毎年内視鏡検査と生体組織検査を受けてきた。こうした検査のひとつでそれを発見した。食道がんの問題は、手遅れになるまでほとんど症状が現れないことだ。そのため生存率が非常に低い」
時間を無駄にすることのないマレーは、がんの化学療法を受け、その後腫瘍を取り除くための手術を受けることに同意した。しかし、治療には強い副作用があり、手術は昨年7月まで延期された。
マレーの手術の説明の仕方から、彼が今でもいかにレースと深い関わりを持っているかがうかがえる。
「外科医はプレイステーションのように部屋の反対側に座り、患者はそこに横たわっている。すべてはロボットとともに行われる。レーシングカーのプロトタイプを開発するのに少し似ている」
手術はショーン・プレストン教授がダビンチXiと呼ばれる手術支援ロボットの助けを借りて行い、マレーは術後6日で集中治療室から出ることができた。マレーはいまだ医師の経過観察の下にあるものの、徐々に活動に戻りつつあるが、次の大きなプロジェクトが何になるかはまだ明らかにしていない。