「メルセデスは予想の2ステップ先を走っていた」勝負の厳しさを実感した1年/ホンダF1山本MDインタビュー(前編)
レッドブル・レーシングにパワーユニットを供給して2年目を迎えた2020年。今年こそはとタイトル獲得を目指してメルセデスとの戦いに挑んだが、振り返ってみればメルセデスがコンストラクターズ選手権で7連覇を達成し、ドライバーズ選手権でもルイス・ハミルトンが最多タイ記録に並ぶ7度目のチャンピオンに輝いた。
ホンダとレッドブルは2019年に3勝を挙げたが、今シーズンも同じく3勝を記録。そんな1年を、ホンダF1の山本雅史マネージングディレクターが振り返る。新型コロナウイルスの影響を大いに受けたが、今シーズンはどんな1年だったのか。そして苦戦した理由はどこにあったのだろうか。
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──2020年シーズンが閉幕しました。
山本雅史マネージングディレクター(以下、山本MD):まず、2020年はみなさんに大きな期待をさせてしまって、若干反省をしています。シーズン前はホンダとしてもライバルチームの開発力を予測はしていましたが、開幕してみるとメルセデスが我々の予想よりも2ステップほど前を走っていたという感じで、非常に厳しいシーズンとなりました。
──メルセデスが強かったですね。
山本MD:勝負は厳しいということを改めて感じた1年でした。開幕前は浅木(泰昭/パワーユニット開発総責任者)も田辺(豊治/テクニカルディレクター)も私も、チャンピオンシップを狙うぞというようなことを言っていましたけど、いざサーキットでレースを戦ってみると、メルセデスはさらに強くなっていて、車体もパワーユニットも安定して速かった。レッドブルとホンダもいろんなところで切磋琢磨して努力してきましたが、2020年は思っていたようにレースをうまく運べなかったかなというのが、私の個人的な印象です。
2019年はレッドブル・ホンダとして3勝しました。2020年はレッドブル・ホンダが第5戦70周年記念GPと最終戦アブダビGPの2勝、アルファタウリ・ホンダは第8戦イタリアGPで1勝し、ホンダとしての勝利数では2019年と同じ勝ち星を得ることができ、ホッとしているところです。ただ、(チャンピオンシップを争うためには)メルセデスの車体とパワーユニットのパッケージとしてのアドバンテージを考えると、もっとチャレンジしていかないと、表彰台の真ん中に立つのはなかなか難しいでしょう。
──2020年に苦しんだ理由はどのあたりにあると認識していますか。
山本MD:シーズン序盤にクリスチャン(・ホーナー/レッドブルのチーム代表)がいろいろと語っていたように、開幕が4カ月遅れたために、空力が噛み合っていなかったようです。レッドブルは(空力をアップデートしながら)いつもシーズン中盤から調子を上げてくるチームという印象が個人的に強い。それが開幕が3月から7月にズレて、シーズンが凝縮されたことがハンディになったのではないかと考えています。
空力はCFD(数値流体解析)のデジタル解析を実走によってコリレーション(相関)を取りながら煮詰めていくのですが、2020年はシーズンが短縮されたことで相当厳しかったと聞いています。そのことは(ヘルムート・)マルコ(モータースポーツアドバイザー)さんも指摘していて、シーズン序盤は私にも「今年は我々も車体でかなり苦労している」と言っていたほどでした。
ただ、さすがレッドブルだと感じたのは、開発力。毎戦のようにアップデートパーツを投入して、車体を進化させていきました。シーズン途中から大きく巻き返し、最終戦アブダビGPでは来年につながる走りを披露してくれました。本当に頼もしいチームです。
──今年のF1は新型コロナウイルスと戦った1年でした。コロナ禍のなかでのシーズンで、かなり疲れましたか。
山本MD:正直、少し疲れました。特に最終戦のアブダビは(新型コロナに関する制限が)一番厳しい国で、サーキットがあるヤス島がロックダウンされているだけでなく、ホテルとサーキットを結ぶ道路以外もフェンスが立てられていて、精神的にストレスを感じました。
──コロナ禍でのF1で一番苦労したことはなんですか。
山本MD:やっぱりコロナに感染できないことですね。ジョナサン(・ウィートリー/スポーティングディレクター)だって、陽性になった途端、ネットでニュースになった。だから、感染してはいけないという意識が常にあり、グランプリから帰ってきても余計な外出はしなかったし、かといって(私がイギリスで生活していた拠点は)自宅ではないので、家のなかで趣味のようなこともできず、読書するぐらいでした。
──山本MDは6月に渡欧したわけですが、このようなシーズンになると予想していましたか。
山本MD:いいえ、日本を出発した6月の時点では、3回か4回、帰国する予定でした。しかし、結局1回しか帰国しませんでした。どうしても日本に帰らなければならず、入国に関して制限がなかったトルコGPの前に3日間だけ帰国しました。それ以外は、一度日本に帰ると、入国のときに自主隔離しなければならず、グランプリが開始するまでにサーキットに入ることができなくなってしまうんです。
しかし、これは私だけでなく、HRD Sakuraから出張できていたエンジニアのほとんども同じで、彼らのほとんどは一度も帰国していません。したがって、家族とのコミュニケーションや、レースに集中できる環境づくりを維持することが大変だったと思います。支えてくれた家族の皆様に本当に感謝しています。
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(後編)に続く