2026.03.27

王座を争うセナとプロストが……37年前の“事件”を当時のエンジニアが回想「最悪の懸念が現実のものに」


47周目のシケインで接触したマクラーレン・ホンダのアラン・プロストとアイルトン・セナ 1989年F1第15戦日本GP
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 2026年シーズンの開幕以来、サーキットでの朗報に乏しいマクラーレンは、今週末行われる日本グランプリのプレビューを利用してベテラン・テクニカルコンサルタントのニール・オートレイを招き、歴史的かつ物議を醸した1989年の鈴鹿でのレースを振り返った。

 同年の日本GPは、レース終了まであと数周というところでアイルトン・セナとアラン・プロストがシケインで衝突したあのレースだ。プロストはその場でリタイアしたが、セナはマーシャルの助けを借りながら押しがけによって再始動。ピットに戻って修理を受けた後、トップでチェッカーを受けたものの、シケインをショートカットしたとして失格となった。

 あれから37年が経過した今、当時チームのトラック・リードエンジニアであったオートレイは、次のように回想している。「1989年、私たちは前年と同様にコンストラクターズ・チャンピオンシップを手中に収めて鈴鹿に到着した。ドライバーズ・チャンピオンシップは、ふたたび我々のドライバーふたりだけによる決戦となっていた。シーズン序盤のイモラでのレースで生じた対立以来、ドライバー同士は言葉を交わすことはなく、私やスティーブ・ニコルズを介して情報が伝達される状態だった」

 このイギリス人エンジニアは、当時のマクラーレンのエンジンパートナーに敬意を表した。「ホンダは彼らのホームグランプリのために、いつものように特別にアップグレードされたエンジンを提供してくれた。なぜ(当時の)日本GPはシーズンのもっと早い時期に行われなかったのだろうか?」

「私たちは土曜午後の最終予選に至るまで、すべてのプラクティスを非常に余裕を持って支配し、そこでアイルトン(・セナ)は、チームメイトより1.7秒速く、次のライバルより2秒以上も速い驚異的なラップタイムを叩き出した」

「アイルトンはチャンピオンの座を守るため、このレースと続くアデレードでの最終戦の両方で勝つ必要があった。アラン(・プロスト)の得点が伸び悩むなか、日曜の午後は緊迫した展開となった」

 しかし、事態はそれほど単純ではなかった。オートレイは次のように回想している。「アランのマシンには、アイルトンと非常によく似たメカニカル・セットアップを維持しながらも、ダウンフォースを低く抑えたエアロ設定が採用されていた。それがレースにさらなる興味を抱かせていた」

「アランはこのレースで簡単に負けるつもりはなく、2番グリッドから素晴らしいスタートを切り、チームメイトを抜いてターン1に入っていった。そして1周ごとにリードを広げていったが、それはまったく予想していない展開だった」

「レース全体を通じ、両ドライバーはすべての周回を予選ラップのように走り、本来あるべき姿のレースを繰り広げていた。アイルトンは当初、応戦できないように見えた。しかし徐々にその差が縮まり始めた。残り12周となった時、激しいデッドヒートが始まり、ガレージの両サイドでは緊張が一気に高まった」

王座を争うセナとプロストが……37年前のF1日本GPで起きた“事件”を当時のエンジニアが回想「最悪の懸念が現実のものとなった」
プロストはリタイア。セナは下り坂を利用して再始動し、トップチェッカーを受けたものの失格となった 1989年F1第15戦日本GP

 そして、決定的な瞬間が訪れる。71歳の彼は「最後の5周に入ろうとした時、我々の最悪の懸念が現実のものとなった」と回想した。

「シケインへのアプローチで、アイルトンがアランのインサイドに向けて、極端なレイトブレーキングで飛び込んだ。アランはそこが決して開いた扉にならないようにした。結果、2台のマシンは接触し、シケイン外側の退避路へと滑り込んだ。両車ともストールし、確実だと思われたワン・ツー・フィニッシュが台無しになり、我々の心は沈んだのは言うまでもない」

 オートレイは、明らかに記憶に深く刻まれたその瞬間を鮮明に覚えており、こう付け加えた。「アランはレースが終わったと思ったが、アイルトンはマーシャルにマシンを引き離すよう求め、下り坂を利用し惰性で走ってエンジンを押しがけした」

「その後、アイルトンは丸1周を走ってからピットに戻り、フロントノーズを交換した。彼は新しいレースリーダーのわずか5秒後ろにいた。彼はすぐさまトップを奪還し、レースに勝利した。少なくとも彼はそう思っていただろう」

「フィニッシュ後、アイルトンは失格となった。マクラーレンは裁定を不服として控訴し、我々はまだあらゆる可能性を残したままアデレードへと向かうこととなった」

 オートレイのように、あの日鈴鹿にいた人々にとって、あの日の記憶と2週間後のオーストラリアGPまで続いたレース後の議論は、決して忘れられることはないだろう。



(Text:GrandPrix.com)

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2026-03-27更新

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