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ホンダエンジンを失ったマクラーレンMP4/8をハッキネンが語る「素晴らしいクルマだが重大な欠点があった」

2019年12月9日

 1993年、ホンダエンジンを失ったマクラーレンの勝機は、ほぼないに等しかった。しかし、ホンダV12よりもコンパクトなフォードHBシリーズのV8エンジンをベースに開発されたMP4/8は、若干遅れ気味だった空力が一新され、さらにあの時代に適した“ハイテク”デバイスを満載して登場。


 参戦を渋っていたアイルトン・セナは、MP4/8のファーストインプレッションに懸け、全戦出走を決めた。彼のこの決断が結果的に、雨のドニントンの伝説を生むことになる。


 その一方で、セナの参戦で弾かれる格好になったのが、ロータスから移籍した若きミカ・ハッキネンだった。セナ、マイケル・アンドレッティがシートを占めたために、ハッキネンはテストドライバーとしてシーズンを過ごす以外に選択肢がなかった。しかし、ハッキネンは、テストドライバーとしての走り込んだ時間が無駄になったとは思っていなかった。


 毎号1台のマシンを特集し、そのマシンが織り成すさまざまなエピソードとストーリーを紹介する『GP Car Story』。最新刊のVol.30では、マクラーレンMP4/8を特集。このページでは、わずか3レースだけの出走となったが、年間通してMP4/8に情熱を注いだミカ・ハッキネンのインタビューを全文公開する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ 

■こんな目に遭うなんて

──1993年に向けてマクラーレンへ移籍した経緯について聞かせてください。アイルトン・セナが契約しない可能性を期待していたのでしょうか?


ミカ・ハッキネン(以下ハッキネン):とてもエキサイティングな時期だった。まずF1まで上がってくることができたし、特にチームロータスでの2年目(1992年)には、ある程度の成績も挙げていた。その結果、ビッグチームの方から私に関心を示してくれるようになったんだ。


 そういうプロセスは今も昔も変わらない。あの頃、私のFAXには次々とメッセージが届き、毎日のように記録紙のロールを交換していた。まあ、実際にそれを読んで、内容を検討してくれたのはケケ(ロズベルグ)だけどね。


 ともあれ、複数のビッグチームから声が掛かるという願ってもないような状況で、あとはこっちがどこを選ぶか決めるだけだった。そして、チームの歴史と実績、当時のパフォーマンスといった観点で考えれば、レースには出られないかもしれないという大きなリスクがあっても、マクラーレンへ行くと決めるのは難しい判断ではなかった。

1993年にマクラーレンに移籍したミカ・ハッキネン
1993年にマクラーレンに移籍したミカ・ハッキネン


──実際のところ、あの年(1993年)にレースができると予想していましたか?
ハッキネン:ああ、そう思っていた。ロン(デニス)は、必ずマクラーレンでレースをさせると言っていたからね。


──それは「いずれは」という意味ですか、それとも「93年に」という意味でしょうか?
ハッキネン:うろ覚えだが、「93年にレースをさせる」と言われたような気がする。ロンはその後に起きることを予感していたのか、実際にそのとおりになった。


 だけど、最初はすごく複雑な気分だったよ。自分でマクラーレンへ行くと決めたとはいえ、いざレースに出られないという事実に直面したときには、「ああ、なんてこった。こんな目に遭うなんて」と思った。


──開幕戦にはセナが出る、と聞かされたのですね?
ハッキネン:そのとおりだ。現実を突きつけられて、本当にがっかりした。


──これでもう、自分のキャリアは終わりだと思いましたか?
ハッキネン:いや、そんなふうには考えなかったよ。そう受け止めたのは、どちらかと言えば外部の人たちだ。誰もがネガティブな反応をして、「終わったな。君のキャリアはこれまでだ」と言っていた。私としても、気持ちを強く持つのが難しかったのは確かだ。


 けれども、テストでは1周たりとも気を抜かず、いつも全力で走っていた。当然、現場の人たちにはそれがちゃんと分かっていたし、データやレポートを通じて、私のパフォーマンスはチーム全体に伝えられていた。


 テストチームと仕事をしていると、メカニックたちが「本当は君がレースに出るべきだ。うちのドライバーのひとりを降ろして、君が乗るべきだよ!」と言ってくれて、とてもうれしかった。ロンも一時は、レースで3台を走らせられないかと動いてくれたようだけど、それは実現しなかった。


──あなたはすべてのレースに帯同していたのですか?
ハッキネン:いや、そうでもない。その場にいれば、私がつらい思いをすることをロンは知っていて、例えばテストであるとか、ほかの仕事を与えてくれていた。


──モナコとハンガリーでポルシェ・スーパーカップに出場し、どちらも優勝していますね。
ハッキネン:モナコGPの週末に、突然ロンに「ここでポルシェのレースに出たいか?」と尋ねられた。きっと私を気の毒に思ったのだろう。私は「もちろん」と答えたよ。


 モナコのフリープラクティスでは、なかなかいいタイムが出なくて、「何かがおかしい。前回から何かを変えた?」と聞いてみた。ABSシステムを交換したと言うので、それを元に戻してもらったが、やはりタイムは良くならない。


 そこで今度は、1番速いドライバーは誰かを尋ねて、そのドライバーが各コーナーを何速ギアで走っているかを教えてもらった。すると、私がそのドライバーより低いギヤで回っているコーナーが、ふたつほどあることが分かったんだ。そして、そこで使うギヤを変えると、すぐに私が最速になり、レースでも勝てた。ロンも喜んでいたよ!

ポルシェ・スーパーカップに出場するミカ・ハッキネン。きっちり優勝するのはさすが
ポルシェ・スーパーカップに出場するミカ・ハッキネン。きっちり優勝するのはさすが

■攻めたエストリル

──セナと知り合って、どんな印象を受けましたか?
ハッキネン:とにかくスゴい人だったよ。アイルトンが、ひとまず(F1キャリア初期の)私は脅威にはならないと判断してからは、友達とは言わないまでも、いい関係を保って互いに十分な敬意を払っていた。


 だが、チームメイトになった途端、彼の態度は「この若造は、いったいどこの馬の骨だ」と言わんばかりになったんだ。そういう点では本当に傲慢だった。まあ、こっちは若いテストドライバーで、向こうはワールドチャンピオンだったし、そういう態度によって強くなれるということもあるだろう。


 ご存知のように、その後、私がコース上で彼と争うようになり、ポルトガルで彼を苦境に立たせたところで、アイルトンはようやく目を覚ました。真剣に向き合わないと、滑稽に見えるのは自分の方であることを理解したんだ!


──マイケル・アンドレッティは脅威にはならず、セナは110%で走る必要はなかったのでしょうか?
ハッキネン:そういうことになるね。


──アンドレッティとの交代を知らされたのは、いつのことだったか覚えていますか?
ハッキネン:思い出せない。だが、マイケルはブラジルやドニントンで大きなアクシデントを起こしていて、ほかにもクラッシュが多かった。だから、いずれはロンが彼に電話をして、「辞めてもらう」と伝えることになるだろうと思っていた。


──ポルトガルGPへ向かうあなたのモチベーションは、とても高かったに違いありませんね。
ハッキネン:もちろんさ。プレッシャーもなく、ただ自分の仕事をすればよかった。クルマについては、もう100%知り尽くしていて、すぐに限界領域で走らせることができた。


──クルマの仕上がりは良かったのですか?
ハッキネン:ああ。だけど、ポールポジションは獲れなかった。どんなに好調でもウイリアムズより遅いという事実は、私たちの競争力不足をあらためて証明するものだった。


 レースではクラッシュしてしまった。スタートはうまく決まって、アイルトンには抜かれたが、彼に対しては何の抵抗もしなかった。マクラーレンに来て初めてのレースで、チームメイトと絡んでクラッシュなんて絶対に避けたかったから「どうぞお先に」と思ったんだ。


 レースはまだ先が長く、何が起きるか分からなかった。私は(ジャン)アレジのフェラーリの後ろを走っていたが、彼はストレートがとても速くて、どう頑張っても簡単に引き離されてしまった。


 そこで私は、少しずつリスクを取って、最終コーナーを攻め始めた。こっちは旋回時間の長いコーナーで稼ぐしかないからだ。そして、私はほんの少しだけ縁石に乗りすぎた。そこではまだ大丈夫だったのだが、縁石の向こうの地面に大きな穴があり、クルマが宙に舞い上がって、私のレースはそこで終わった。

■本当にいいクルマだった

──MP4/8はどんなクルマでしたか?
ハッキネン:素晴らしいクルマだった。その点に疑問の余地はない。ただ、限界まで攻め込むと、高速コーナーでも低速コーナーでも中速コーナーでも、ハンドリングの重大な欠点が表面化した。


 トラクションコントロールやアクティブサスペンションがあって、一時はオートマチックギヤボックスも搭載されていたが、その一方でいくつかの問題も抱えていたんだ。前向きな姿勢を忘れず、ノンストップで開発を続けても、どうしても私が望んだレベルまで仕上げることはできなかった。


 その問題が未解決だったために、完璧に仕上がったクルマと比べると、ひとつのコーナーで0.1秒くらいは失っていたかもしれない。どんなコーナーでも遅いのだから、原因は私のドライビングでもなければ、アクティブサスペンションや空力のセットアップの問題でもなかった。


──アクティブサスペンションのセットアップは難しかったのでしょうか?
ハッキネン:いや、あのアクティブは複雑なものではなかった。ただ単純にクルマの何かが間違っていたんだ。私としては、あのクルマは空力面に難があって、本来のパフォーマンスを引き出せなかったように感じている。


 もちろん、使っていたエンジンのパワーを考えると、ダウンフォースを削らざるを得なかったのは確かで、それも問題のひとつではあった。


──フォードHBエンジンは、あなたがロータス時代に使ったのとおなじタイプでしたね。
ハッキネン:そのとおり。とてもいいエンジンだったけど、相手がルノーとなると、まるで勝ち目はなかった。


──ランボルギーニエンジンのテストカーは、どんな印象でしたか?
ハッキネン:信じられなかったよ。狂ったように高回転まで吹け上がり、悲鳴のような音を発して、すごくパワフルなんだ。ただ、パワーがあるエンジンには大きな冷却系が必要だったり、燃費が悪かったり、大量にオイルを食ったりといった弱点があるものだ。


 実際、そういうエンジンはたくさんあった。あのエンジンはとても軽くて、その部分ではランボルギーニがいい仕事をしていたけど、前後方向に長いのが難点だった。それでもパワーがあるから、燃料が満タンでも強烈に加速した。コスワースのエンジンは、満タンにするとストレートでの加速がどうしようもなく遅かったんだ。


 いまだによく覚えているが、ランボルギーニエンジンのクルマは、燃料が重い状態でべケッツを抜けるときにもはっきりと加速Gを感じて、こいつはスゴいぞと思った。そして、その先のハンガーストレートで、派手にブローアップしたんだ(笑)。


──振り返ってみて、MP4/8というクルマは、あなたにとっていい思い出と言えますか?
ハッキネン:本当にいいクルマだった。それは間違いないよ。ただ、シャシーのバランスにちょっとした問題があって、イライラさせられることもあった。あのクルマでは相当な距離を走り込んだ。


 そして、問題を解消するために、テスト走行の後には夜遅くまで話し合い、バラストの位置や燃料タンクの構造を変えて、重量配分を調整したりした。


 いまになって思うと、空力を根本的に見直せば、違う結果が得られたかもしれない。ともあれ、私が多くの情熱を注いだ、思い出深いクルマであることは確かだね。
※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 お届けしたミカ・ハッキネンへのインタビューのほか、マイケル・アンドレッティやアイルトン・セナの再録インタビューなども掲載。


 また、ニール・オートレイ筆頭にアンリ・デュラン、パット・フライ、パディ・ロウといった技術陣のインタビューも収録している。レギュレーション的に大きな縛りがなく、技術者たちのやりたいことができた時代に、彼らがいかに楽しんで開発していたのかが、インタビューから感じ取れるだろう。


 そして、選手権的には敗者であるはずにもかかわらず、全員が口をそろえてMP4/8を誇りに思っていることに、このクルマがマクラーレンの歴史のなかでもいかに“優秀”であったかを再確認できるはずだ。


『GP Car Story Vol.30 McLaren MP4/8』は全国書店やインターネット通販サイトで発売中。

MP4/8を特集したGP Car Story Vol.30の詳細と購入はこちらまで
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(Text/Adam Cooper)




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